カザン大聖堂は、サンクトペテルブルグの目抜きネフスキー大通り沿い、ショッピングセンター ガスチーニイ・ドボールの少し西よりにあります。
チャイコフスキーの作品『序曲1812年』でも知られているように、アレクサンドル1世の率いるロシア軍は1812年にナポレオン軍と戦い、勝利しました。ロシアでは、この戦いを祖国戦争とよびます。カザン大聖堂は、祖国戦争の勝利を記念して1812年に建立されました。 |
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ネフスキー大通りを歩いて東側からカザン大聖堂に近づくと、まずローマの凱旋門を思わせる巨大な四角い建物が見えてきました。その奥のほうに、大きなドーム屋根がそびえています。
大聖堂の前の広場に立っている銅像は、ナポレオン軍と戦って勝利したクトゥゾフ将軍の像だそうです。軍人ですが、軍服ではなく古代ローマのシーザーのような緩やかなローブを着ているのが面白いところです。
この将軍は、大聖堂の中に葬られているということです。 |
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さらに西に向かって歩いて、大聖堂の正面を見ます。ご覧のように、144本のコリント式列柱が半円形に立ち並ぶギリシャ建築風の回廊の奥に、高いドームがそびえています。 このつくりは、ローマのカトリック総本山サンピエトロ寺院をモデルとしたといわれますが、確かによく似た印象を受けます。
大聖堂の内部はロシア正教の教会になっており、一般の教会として礼拝、ミサ等が行われています。本日は火曜日ということもあって、大聖堂に出入りする人も少なく、あたりは静かでした。 |

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さらに歩いて、大聖堂の西側の端にきました。この部分は大聖堂東側とまったく同じ造りとなっており、大聖堂全体が左右対称に構築されているのがわかります。
マルクスは「宗教は麻薬である」といったそうです。その思想を受けついだ旧ソ連時代には、この大聖堂はなんと反宗教博物館として使用されたということです。中国の文化大革命時代のさまざまな暴挙と同じようなことがここでも行われたのです。
現在では、他のロシア正教の寺院と同じく昔の姿に復元されています。 |
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これまで、私はロシア正教の教会の内部を見たことはありませんでした。例によって、信者でもないのに教会は来る者は拒まずだろうからと勝手にきめ込んで、カザン大聖堂の内部に入りました。
一見して、大聖堂の壮大な空間、華麗な祭壇にはおどろきました。祭壇の造り、色調などは、これまで方々でみてきた西欧諸国のカトリック教会とはまったく異なり、エクゾティックな感があります。 |
ロシア国家の基となったキエフが10世紀末にギリシャ正教を国教としたのが、ロシア正教の起源だそうです。
ギリシャ正教、ロシア正教は東方教会とよばれ、ローマ・カトリックとはさまざまな違いがあります。 カトリック教会では、キリスト像やマリア像などの彫刻聖像が正面に置かれますが、ロシア正教では代わりにイコンが正面に置かれます。イコンとは、木の平板にテンペラ絵具で主キリストや聖母マリア、聖者たちの像を描いた聖像画です。ロシア正教では、イコンは地上と天国の間の窓であり、神の国を映す鏡であるとされます。
大きなカトリック教会では、高い窓にステンドグラスを置き美しい光の効果を取り入れます。一方ロシア正教の教会では、通常窓が非常に小さく、代りにたくさんのろうそくを置いた燭台が方々に置かれます。
大聖堂の祭壇では、ちょうど本格的なミサが行われており、私どもは遠くからその様子を見学しました。東方教会では、ミサの際は吊り香炉をふって「乳香」の香りをあたりに広めます。香炉の香りとろうそくの匂いが大聖堂の中にただよい、ろうそくのほのかな照明とあいまって独特の雰囲気をかもし出します。 |
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写真は、ネフスキー大通りの中ほどで見かけたロシア教会です。見ていて、東京御茶ノ水にあるニコライ堂にドームの形がよく似ているのに気がつきました。
ニコライ堂は、正式には日本ハリストス正教会復活大聖堂といい、1861年に函館のロシア領事館司祭として来日したニコライ神父が、ロシア人建築家に造らせたものです。
ハリストスとはロシア語でキリストのことだそうです。ハリストス正教はロシア正教の一派とのことで、ニコライ堂は19世紀ロシア正教教会の建築様式で建てられたのでしょう。 |