アムステル川の水門、はね橋などを見てから、土地の人に尋ねながら、方々を探し回りました。実は、インターネットで調べたところ、この近くにアムステル公園というのがあって、その中にオランダ名物の風車小屋が保存されていると書かれてあったのです。
アムステルダム中央駅から鉄道で1時間余り行ったところに、キンデルダイクという風車小屋の村があるということですが、私どもは残念ながらそこに行く時間がありませんでした。アムステルダム市内に風車があるならぜひ見たいと思って探したのですが、とうとう見つかりませんでした。 |
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アムステル川の近くからまた市電に乗り、中央駅の方向に移動しました。その途中にレンブラント公園という小さな公園があり、観光名所として知られています。
市電を降りて公園に入ると、レンブラントの大きな銅像が立っていました。傑作 《夜警》 を描いた四十歳少し前の全盛期をモデルにしたものでしょうか、堂々とした姿、しっかりした眼差しの銅像です。
レンブラントは25歳から死ぬまでアムステルダムで暮らしました。 |
レンブラントは生まれたのはライデンですが、アムステルダムにもっとも縁の深い画家といえましょう。アムステルダム市内の方々にレンブラントに関係した建物とか公園があるのは、そのためです。
オーストリアのザルツブルグがモーツアルトの町であるのと同じようなものです。
私ども日本人から見ると、レンブラントより約30年前に生まれたルーベンスとレンブラントは、ともに「オランダの偉大な画家」というイメージがあります。しかしルーベンスの本拠地は、当時のフランドルのアントワープでした。 私は、アムステルダムに来てルーベンスを記念する建物や公園がないのに驚きましたが、これはアムステルダムの人にしてみれば当然なのでしょう。 |
上記レンブラントの銅像の足元に、下の写真に見られるように、名画 《夜警》 に描かれている夜警団のメンバーたちの銅像が置かれてあります。それぞれの銅像は、 《夜警》 に描かれているように鉄砲、槍、旗などを手にして立っています。それら群像の一番前に夜警団の隊長が剣を持って立って、なにか大声で号令をかけているようです。
これらの銅像を見るために、観光客が次々にこの公園に入ってきて、銅像の前で記念写真を撮っていました。日本人の観光客もたくさんいらっしゃるようでした。 |

これらの銅像と下の写真の絵画 《夜警》 を比較すると、銅像は絵画にかなり忠実に構成されているように思われます。それぞれの銅像が手にしている鉄砲、槍、旗なども、絵画によく似ています。 これまで気がつかなかったのですが、絵画の左端には少年らしい人物がやや暗く描かれています。銅像のほうにも、その少年の像が置かれてありました。
ただ、絵画の左側にあるレンブラントの妻サスキアをモデルにしたとされる女性の姿は、銅像の中には見当たりませんでした。 |

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私が撮影した上の写真では、銅像群の右端の部分が写っていませんでした。 左の写真は別のアングルで撮影したものですが、それを見ると、絵画の右端に描かれている長い槍を持った人物、大きな太鼓を持った人、それに足元の犬などがそのまま銅像になっているのがわかりました。
名画 《夜警》 は人類の誇りともいうべき作品ですが、アムステルダム市民にとってはとりわけ思い入れのある絵画なのでしょう。 この名画が制作されたのは、アムステルダムにとって宗教改革後の混乱、スペインからの独立戦争など、大きな問題を抱えた時期でした。 その時期に夜警団の果たした業績は、アムステルダム市民には永遠に忘れられないものなのでしょう。 |