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アレクサンドル三世橋をわたり、アンバリッド(廃兵院)に向かって歩きます。金色に輝くドームが、次第に大きくそびえてきました。
アンバリッドは、太陽王ルイ14世が、戦争で傷ついた兵士を収容するために建築させたとのことです。その後、18世紀初めに高さ107メートルの大ドームをもつ教会が廃兵院の後ろに建設されました。
アンバリッドは現在でも軍病院であり、100人ほどの傷病兵が療養しているそうです。しかし、それ以上に、アンバリッドはナポレオンの遺体が大ドームの下に安置されているので有名です。 |
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アンバリッドの入口近くには、たくさんの古い大砲が並べられています。写真のように、緑色にさびているので、青銅で鋳造されたものと思われます。
ヨーロッパで強靭な錬鉄が生産され、それを利用して砲身が作られるようになったのは、19世紀のはじめのようです。
フランス革命で蜂起した民衆は、国王の軍隊に対抗するため、このアンバリッドを襲撃して大砲を奪ったそうです。この写真の大砲も、そのとき民衆によって引き出され、パリの市街戦に使用されたのでしょうか。 |
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大砲の前でセーヌ川の方向を振り返ると、アレクサンドル3世橋の石柱が4本見え、それらの上で金色の女神像が陽光を受けて輝いていました。
橋の向こう、セーヌ対岸の左側はグラン・パレの科学博物館と大ドームです。道路を挟んで右側には、美術館などに利用されているプチ・パレが見えます。これらの建築物は、皆1900年のパリ万博に合わせて建設されたので、デザインも統一が取れています。パリでも指折りの観光名所なので、観光バスが盛んに目の前を行き交います。 |
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アンバリッドの入口から中に入ると、広大な中庭がありました。その中庭を、壮大な2階建ての建物が取り囲んでいます。
前記のように、現在でもアンバリッドでは傷病兵が療養生活をしていますが、この建物の大部分は「軍事博物館」として利用されています。私どもは、時間の関係で軍事博物館には入場しませんでしたが、そこにはナポレオンの肖像画や中世以来の歴史資料などもたくさんあり、なかなかの内容のようです。
廊下にも彫像や昔の兵器などが置かれてあり、見て歩くと興趣がつきません。 |
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2階の廊下に、小銃を高くかざした兵士の銅像がありました。左手に持っているのは、畳んで袋に入れた連隊旗でしょうか。その向こうのアーチ窓から、金色に輝やく大ドームが見えています。
兵士像は、小型の野砲を積んだ砲車の横に立っていました。 ナポレオンが砲兵将校だったことからわかるように、フランス軍は伝統的に陸軍が中心、そして砲撃戦が得意でした。そのフランス軍は、第2次大戦でドイツ軍の航空戦力および戦車軍団の前にあえなく大敗を喫しました。 |
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廃兵院の後ろ、大ドームの中には、ご覧のように美しい教会があります。暗く重々しいマドレーヌ寺院とは違い、こちらは白と赤を基調とした明るく華やかなつくりです。
教会に多い奥行きの長い構造ですが、高い天井にあるたくさんの窓から外光が差し込んで、教会の白い天井や壁に反射して、教会全体を柔らかい光で包んでいます。
正面奥に高いガラス窓があり、そこが祭壇らしく大きな十字架がかかっています。その向こうがアンバリッドの金色大ドームの真下になるようです。 |
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祭壇の回りには三色旗がたくさん立てられており、床には赤いじゅうたんが敷き詰められています。祭壇の十字架の下には、巨大な石棺がありました。それを見て、私どもはそれがナポレオンの石棺だと決め込んでしまいました。
あとでわかって悔しい思いをしたのですが、実はナポレオンの石棺はガラス窓の向こうの地下にあるとのことでした。
鉛などで6重に覆われた巨大な赤い石棺が、ドームの真下の地下に安置されているのだそうです。 |
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祭壇の反対側の壁面には、巨大な銀色のパイプオルガンがありました。この天井の高い教会でパイプオルガンを演奏したら、さぞかしすばらしい音色がすることでしょう。
私どもがいったのは復活祭の少し前のことで、パイプオルガンの生演奏は聴けませんでしたが、教会の中にはパイプオルガンの音楽がながれていました。
月曜日の午後だったせいか、広い教会に中には信者の姿もまばらでした。静かな教会のベンチに座り、教会をつつむパイプオルガンの音楽にしばらく聴き入りました。 |
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教会の中にも、立派な彫刻や絵画がたくさんありました。左の写真は、多分タピストリだと思いますが、中世絵画の心を現代に伝える優れた作品です。
また、ナポレオンと思われる軍人の華麗な絵画もありました。ナポレオンは、政権をとったのち、王位についたり、失脚したり、また復権しかけたり、最後はセント・ヘレナ島に流されたりといろいろありました。そして、その絶海の孤島セント・ヘレナ島で、ナポレオンは1821年に波瀾の生涯を閉じました。 |
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ナポレオンの遺体は、1861年になってセント・ヘレナ島からフランスに送られ、大凱旋門を通ってパリに入ってアンバリッドに安置されたそうです。 |
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左は、第一次世界大戦(1914〜1918年)の戦没者を悼むレリーフです。 近代科学技術が投入された最初の大戦である第一次世界大戦では、フランスでは軍人、民間人合わせて450万人近い国民が亡くなりました。もちろん、他のヨーロッパ諸国でも多数の死者が出ました。
その悲惨な経験の教訓が生かされず、その30年後には、第2次世界大戦が勃発することになりました。 今後またこのような戦争をはじめたら、こんどこそ人類の存在意義が問われるのではないでしょうか。 |