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イギリス旅行 |
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聖マーチンインザフィールド教会を出て西側を見ると、広大なトラファルガー広場が拡がっていました。広場の中央には高い石柱が立っており、その上に海軍提督の帽子をかぶったホレイショ・ネルソンの像がそびえていました。
1805年、イギリス征服を計画したナポレオンは、まず英仏海峡を制するためにフランス・スペイン連合艦隊をスペインから発進させました。それを察知したイギリスは、ネルソン提督の率いる艦隊をスペインに差し向け、ジブラルタルに近いところにあるトラファルガー沖で大海戦が行われました。
結果は、当時「ネルソンタッチ」といわれたフランス・スペイン連合艦隊の側面を突くネルソン提督の作戦が成功し、イギリス艦隊の大勝利となりました。トラファルガー広場は、国の危機を救ったこの海戦の勝利を記念して造られたものです。 |

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現在では、この広場はロンドンを代表する観光地になっており、上の写真のように一年中観光客が多数押し寄せています。観光客だけではなく、イギリス中の学校の生徒もたくさんここに来るようで、先生に引率された生徒たちを広場の方々で見かけました。 |
子供たちのお目当ては、広場の中央、ネルソン石柱のまわりに置かれてある巨大なライオンの銅像です(下左の写真)。子供たちは、競い合うようにライオン銅像によじ登ってその上で歓声を上げていました。ライオン銅像は全部で6頭分ぐらいあるでしょうか。
東京在住の方は、どこかでこれらと同じようなライオン銅像をご覧になっていると思います。そうです、東京日本橋のデパート三越本店の入口にあるライオン銅像です。三越のライオン銅像は、このトラファルガー広場のライオンをコピーしたものだそうです。 |
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トラファルガー広場の周りには、さまざまな歴史資産や観光名所が多数あります。トラファルガー広場の北側には、イギリスの誇る世界最大級の美術館ナショナルギャラリーの建物があります。円柱の並んだ正面入口とその奥にある大ドームが、広場の空にそびえていました(上右の写真)。 |
ネルソン石柱の高さは50メートル近くもあり、その上に高さ5メートルのネルソン提督像が載っているということです。石柱が高すぎて、石柱の近くで写真を撮ってもうまく撮れませんでした。ネルソン提督が海軍の提督帽をかぶって英仏海峡越しにフランスのほうを見つめているのだけはわかりました(下左の写真)。 国立海事博物館のウェブにはネルソン提督の肖像画がたくさんあるので、関心のある方はアクセスして見てください。 |
石柱の台座には、ネルソン提督の艦隊が戦った4回の大海戦を描いた青銅のレリーフがはめ込まれています。これらの海戦で、提督はまず片目を失い、ついで片腕をなくしました。そして、最後のトラファルガー大海戦では、ついにフランス狙撃兵の銃弾に倒れました。
救国の英雄ネルソン提督の亡骸は、現在ロンドン市内のセントポール大聖堂に安置されています。 |
18世紀末から19世紀にかけて活躍したイギリスを代表する画家ターナーは、トラファルガー大海戦が行われた1805年には30歳でした。海戦でネルソン提督は戦死しましたが、大勝利を収めたイギリス艦隊の旗艦ビクトリー号は英国海峡を通ってイギリスに帰ってきました。感激したターナーは、海上までビクトリー号を迎えにいったそうです。
下の写真は、そのターナーが描いた 《トラファルガー海戦》 の絵画です。イギリスにとってトラファルガー海戦は、その100年後に行われた日露戦争の日本海海戦が日本に意味するのと同じくらい重大でした。 ナポレオン軍は、その時点で英仏海峡のフランス側に35万の軍隊を集結していたといわれます。もし、英仏海峡がナポレオン側に制されたら、ナポレオン軍は海峡を渡ってイギリスに殺到し、やがてイギリス全土を制圧したことでしょう。 |

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上の絵画では、戦艦による接近戦を得意としたとされるネルソン提督の戦いぶりが熱い感激をもって描かれています。ターナーは現在でもイギリスの国民的画家といわれるそうですが、その理由がわかるように思われます。 |
下左は、広場北側のナショナルギャラリー前にあった噴水の写真です。他のヨーロッパ諸国では海馬に乗ったポセイドンの噴水をよく見ますが、こちらは海蛇の口から水が噴出しています。その奥にあるナショナルギャラリーの石段に観光客がたくさんいるのが見えます。
下右は、広場東側にある聖マーチンインザフィールド教会の尖塔を遠望した写真です。手前に見えるのは、ジョージ4世というトラファルガー海戦の少し後の国王の騎馬像です。この王様は、あまり評判がよくなかったそうです。 |
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