ウィーン中央墓地は、1874年にウィーン市の近代化の一環として建設されました。それまでウィーン市の中にあった5ヶ所の墓地を、この中央墓地に移転したとのことです。
東京都心にある青山墓地は1872年の開所なので、このウィーン中央墓地はそれとほぼ同じく130年もの歴史を持つことになります。やはりあたりの墓のただずまい、通路の両側に茂っている木々の大きさに青山墓地と同じような歴史の長さを感じます。
ウィーン中央墓地の中を縦横に走る通路に立って遠くを見通し、古都ウィーンの歴史に思いをはせました。 |

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ウィーン中央墓地内には多数の区画がありますが、それらの中には、その区画独自のお堂をもつものがあります。
この区画では立派なお堂があって、その壁に見事なレリーフが飾られていました。大きな翼を広げた天使の姿が下にあり、その上にイエスを抱いた聖母マリアの像が浮き彫りされていました。葬られた人の安らかな眠りを願う遺族の心は、時代を越え洋の東西を越えてまったく変わりません。
私どもも、このレリーフの前で立ち止まり、礼をして通りました。 |
ウィーン中央墓地内には、立派なドームのついた教会があります。ウィーン市内に市電を開通させ、街路にガス灯を設けるなど近代化に大きな業績をあげたカール・ルエーガーという市長にちなんで、この教会はルエーガー教会と呼ばれています。
32A区画で大作曲家たちの墓にお参りしてから、私どもはその近くにあるこの教会に向かいました。市電通りの第二門から入ると、32A区画までが約200メートル、そこからルエーガー教会までがまた200メートルほどです。 |
教会のドアを押して中に入ると、これまで見てきた古い教会や大聖堂などにくらべて内部が非常に明るいのに気がつきました。この教会は、20世紀初頭にアールヌーボーの系統の様式で建立されたとのことですが、建立が新しいだけあって、内部は近代的な明るい造りになっています。
下左は正面の祭壇、下右はその祭壇の天井部分の写真です。祭壇中央の壁には、キリストが玉座についている様子を描いた巨大な絵画が置かれており、その両側にも大きな絵画が配されています。それらの上、天井に近いところに、キリストが雲に乗って昇天する絵画がありました(下右)。 |

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上の写真は、祭壇の後ろにあった3枚の絵画です。この教会が建てられたのが20世紀の初めですから、これらの絵画もそのころの作品と思われます。作者はわかりませんが、堂々たる出来ばえとお見受けしました。 |
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祭壇の前に立ち、上を見上げると、ドームの天井からやわらかい初秋の外光が堂内に入っていました。
ドームの天井には天井画はなく、かわりにどこかイスラム寺院を思わせる放射状の線が描いてありました。この教会全体としても、カトリック色はそれほど強くありません。
オーストリアでは、国民の78%はカトリック教徒、5%はプロテスタント、残りはユダヤ教徒、イスラム教徒などといわれます。 |
最近は、プロテスタントやイスラム教徒が増加しているそうです。大作曲家の墓所の中にブラームスの墓がありましたが、ブラームスは北ドイツ ハンブルクの生まれで、熱烈なプロテスタントでした。
この中央墓地の中には、プロテスタントの区画やユダヤ教徒の区画もあります。19世紀以降、ウィーンは国際都市化の傾向が強くなりましたが、それがこの中央墓地にも反映されています。 |
教会内の高い窓には、下の写真のステンドグラスが飾られていました。方々の大聖堂や古い教会にあるステンドグラスとは異なり、色調は明るくデザインもシンプルです。
ヨーロッパでは、宗教改革のころまでは一般民衆の識字率が低かったので、カトリックの教義を説明するために絵画、彫刻、ステンドグラスなどが大いに利用されました。 一方プロテスタントの教会では、信者の教育レベルが向上したこともあり、新約聖書中心の説教が行われてきました。
教会の造りにも、時代の流れ、信者の意識の変遷が投影されているのでしょう。 |