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国内旅行 湯河原 |
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湯河原は古くから湯治場として有名でしたが、東海道線の開通により、交通至便な温泉地としてさらに人気が高まりました。「東京の奥座敷」といわれた風光を愛して、夏目漱石をはじめ多数の作家・文人がこの地を訪れ、中にはここに定住する人も出てきました。 |
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東京・世田谷から普通電車を乗り継いで、朝10時過ぎにJR真鶴駅に着きました。駅を出てからふと見ると、駅前に左の写真の大鍋が置いてありました。近寄って説明を読むと、「源頼朝の旗挙げ鍋」ということでした。
1180年に石橋山の戦いで敗れた頼朝は、再起を期して真鶴岬の近くから房州に船出しました。そのおり、海岸の住民から暖かい鍋料理でもてなしを受けたということです。 それを記念して毎年「源頼朝旗揚げフェスティバル」が行われますが、その際この大鍋で汁を作って観光客にふるまうそうです。 |
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真鶴岬を見た後、真鶴駅からJR各駅停車線に乗り、隣の湯河原駅で下車しました。バスで西に向かい、万葉公園の近くの老舗旅館にチェックインしました。明治の詩人・作家島崎藤村の定宿だった旅館とのことです。
まだ十分明るかったので、すぐに旅館の外に出て、万葉公園の方向に歩き出しました。万葉公園は、藤木川と千歳川が合流する場所の北側の丘陵にあります。
万葉集の中にこの地の温泉を読んだ和歌があることから、歌人佐々木信綱氏の指導により万葉公園と名付けられたとのことです。 |
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万葉公園足のバス停から落合橋をわたり、公園に入ると、高い石に刻まれた「万葉の歌碑」が見えます。
万葉集四千五百首の中で唯一の温泉の湧くさまを詠んだ歌が刻まれていますが、これは歌人佐々木信綱氏の考証により、この湯河原の温泉を歌ったものであるのが確認されているということです。
足柄の土肥の河内に出づる湯の
世にもたよらに
子ろが言はなくに
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万葉公園の中を流れる千歳川の渓流沿いに「文学の小径」という散策路が設けられ、それに沿ってこの地に縁のある短歌、俳句や漢詩などを掲示した木の板がたくさん配置されています。
文学の小径の入口に近いところに、万葉公園の名付け親歌人佐々木信綱さんの短歌がありました。
木がくりに滝の音とよむ
万葉人来遊ぶらむと
思ひつつ歩む 佐々木信綱
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短詩や小説の一節などを掲載した掲示板には、作者の紹介、この湯河原との係わり合いなどがかなり詳細に記されており、私は各作品を鑑賞しては掲示板を写真に撮って歩いて行きました。
上記佐々木信綱さんの短歌の次には、詩人・作家島崎藤村の詩「潮音」の一節がありました。
藤村は湯河原の温泉、風物をこよなく愛し、たびたび訪れました。この万葉公園の近くには藤村が定宿とした旅館があり、私どももそこに宿泊しました。 |
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万葉公園内の千歳川の渓流には、左の写真の滝もあります。落差はさほどでもありませんが、それでも公園の冬山に水音をとどろかせていました。
作家芥川龍之介もたびたび湯河原を訪れ、短編小説『トロッコ』をはじめ当地を舞台とした小説を三篇書いています。 文学の小径にあった龍之介の俳句です。
道ばたの
墓なつかしや
冬の梅 芥川龍之介
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耽美派の作家谷崎潤一郎は、最晩年にこの湯河原の地に住みましたが、その住居湘碧山房が現在でも残っています。
谷崎邸の女中さんたちを描いた作品『台所太平記』は大ヒットとなり、のちに映画にもなりました。モデルの女中さんはタクシー運転手と結婚し土産物屋を開きましたが、その開店祝いに谷崎さんは次の短歌を贈りました。
湯河原の春吟堂に客絶えず
桜咲く日も
みかん実る日も 谷崎潤一郎
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夏目漱石も湯河原を愛し、この地の天野屋という旅館に逗留して療養や執筆をしたそうです。 漱石最後の小説『明暗』の終わりのほうは、湯河原を舞台としており、「不動滝」の話も出てきます。
旅館の主人の求めに応じて書いた漢詩(五言絶句)のうちの一つが、文学の小径に掲示されています。
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長編小説『路傍の石』で有名な作家山本有三は、最晩年の20年あまりを気候温暖なこの地で過ごしました。
次の俳句はその時期に詠んだもので、いかにも有三らしい簡潔でシャープな句調です。
一生一瞬に
去来す
もずの声 山本有三
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明治25年生まれの堀内大学は、海外生活が長く、欧米のすぐれた詩を邦訳して昭和の文壇に大きな影響をあたえました。 自作詩集も『月光とピエロ』(処女詩集)など多数あります。
耳近き藤木の川は瀬の音を
枕にしけば夜のすがらの
思いは通う子の眠る越の山里
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萩原井泉水は、最初碧梧桐の新傾向俳句に傾倒しましたが、やがて独自の自由律俳句を提唱しました。
門下から尾崎放哉、種田山頭火が輩出し、後世に大きな影響を与えました。
かれくさやまの
雲白く
ゆうべおそし 萩原井泉水
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与謝野晶子は、湯河原の真珠荘という旅館の大島桜を愛し、桜のシーズンには夫婦でよく訪れたそうです。その際は、弟子たちも帯同し、旅館で歌会を開いたそうです。
吉浜の真珠の荘の山ざくら
島にかさなり
海に乗るかな
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京都祇園の短歌で有名な吉井勇は、この湯河原でも多数の短歌を詠んでいます。吉井は15歳ほど年上の独歩に傾倒して、次の短歌を残しています。
ただ一人湯河原に来て
すでに亡き独歩を思う
秋の夕暮れ
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『武蔵野』で有名な国木田独歩も湯河原を愛し、短編小説『湯河原ゆき』などの作品を残しています。
この碑は上記『湯河原ゆき』の一節を独歩の友人早大教授吉江狐雁が書いたもので、独歩の三十年忌に建てられました。
湯河原の渓谷に向かった時は
さながら雲深く分け入る思が
あった。
この碑の少し上のほうには温泉が引かれた「独歩の湯」という広場があり、さまざまな足湯が楽しめるようになっています。 |
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文学の小径の中ほどには、赤鳥居がたくさん連なった狸福神社という小さな神社があります。この地には傷を負った老狸が湯河原の温泉に浸かってすっかり回復したという昔話があり、その狸を祀ったものだそうです。
古来、癒しのいで湯として人々を惹きつけてきた湯河原らしい神社です。
梅寒や
湯で傷いやす
老たぬき
文学の小径を歩くのに疲れたら、この神社に立ち寄って休んでください。 |