近代写生句の創始者、正岡子規。子規の青年時代には、俳句という短詩のジャンルはほとんど忘れられかけていたといわれます。僅かに残っている俳句は、悪ふざけなど言葉の遊びをするものが主流という状態でした。
そのような時期に、子規は方々の書籍に散見された蕪村の俳句の気品、清新さにうたれ、蕪村の俳句の系統的な研究を開始しました。その結果、客観写生という新しい俳句の理論を提唱するに至ったということです。
子規の写生句というと、まず次の鶏頭の俳句が思い出されます。 |
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鶏頭の
十四五本も
ありぬべし 正岡子規
この俳句についてはその後の評価は大きく分かれ、多くの議論が行われてきました。 写生短歌の提唱者斎藤茂吉はこの俳句を賞賛しましたが、子規俳句の継承者というべき高浜虚子はこの俳句についてコメントを控えたそうです。
私ども俳句愛好者は、なんのしがらみもないのですから、この俳句を無心に読み自分の感じたままを述べてもかまわないでしょう。 |
子規は、自分の提唱する客観写生のデモンストレーションとしてこの俳句を作ったのではないか、と私は考えます。要するに方法論のための俳句ですから、句の芸術的価値を議論する必要は別にない、というのが私の意見です。
子規崇拝者の皆様からお叱りを受けそうですが、それはこの項を最後までお読みになってからにしていただきたいと思います。
上記の俳句に見られるように、子規は客観写生という方法論に大変執着しました。そのため俳句、短歌のいずれの場合でも、客観写生の理論に合わないとして自由な詩的表現を論駁することがしばしばありました。 |
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私個人は、自由な発想による彫の深い詩的表現を俳句に求めるほうです。従って子規は必ずしも好きなタイプの俳人ではありません。しかし次の有名な法隆寺の俳句には、ただ脱帽するほかありません。
柿食えば
鐘が鳴るなり
法隆寺 正岡子規
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子規が、松山から上京する途中立ち寄った奈良・法隆寺で詠んだ俳句だそうです。実に胸がすくくらい鮮やかな俳句です。俳句の世界を知って以来、私はこの俳句に魅せられ、この句が詠まれた斑鳩の里はどのようなところだろうと思いをはせてきました。
このたび3月末に京都・奈良に旅行をしましたが、その際やっと奈良法隆寺を訪れることができました。 |
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明治28年10月、子規は奈良法隆寺を訪れて方々を見た後、境内の茶店で休んでいました。そこへ、奈良名産の御所柿が盆に盛られて出てきました。
現在の法隆寺境内の西端に小さな茶店がありますが、そこが子規が休んだ茶店でしょうか。私どもも、その茶屋で一休みしました。
子規は、食道楽として有名でしたが、柿などの果物も好物だったとのことです。この茶店でうまそうな柿が出てきたので、思わずにこりとして、さっそく柿の皮をむいて食べたのでしょう。 |
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その茶店の北、少し山にかかった小高いところ、かなり長い石段の上方に、八角造りの西円堂(さいあんどう)というお堂があります。ここには奈良時代に制作された薬師如来坐像が安置されています。 |
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茶屋の前からその西円堂の石段を登っていき、正面右側に回ると古い鐘楼があり、大きな黒い鐘がかかっていました。これが法隆寺の時の鐘で、昔から斑鳩の里に時を告げてきました。
子規が、抜けるような秋空のもと、そそり立つ法隆寺の大伽藍を見ながら茶店で柿を食べていると、すぐ近くにある西円堂の鐘楼から時を告げる鐘の音が響き始めました。
鐘の音は、法隆寺の裏山にこだまし、微妙なうねりを伴いつつ斑鳩の里に伝わっていきました。 |
子規は、手にした柿を食べるのを忘れて、自分を包み込む荘重な鐘の音に聴き入ったのでしょう。 この秀句の句碑が境内にあると聞き、かなり方々を探したのですが、ついに見つかりませんでした。 |
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あとでインターネットで調べたところ、どうやら法隆寺正面右側にある鏡池という小さな池のほとりにあったらしいとわかりました。
例年寒さが厳しい斑鳩の里ですが、今年は3月が暖かかったらしく、鏡池のまわりの桜も三分咲きぐらいになっていました。 その写真を左のように撮りながら、句碑を見つけることができなかったわけで、残念でなりません。
それでも、桜が咲き初めた時期に法隆寺を訪れることができ、忘れられない思い出となりました。 |