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  (2) 伊豆の踊り子

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ループ橋
河津から修善寺へ

 2007年2月に、私どもは南伊豆の河津町と下田を訪ねる小旅行をしました。

今回の旅行の目的は、一つには最近早咲き桜として評判の高い河津桜をみること、もう一つは昔からさまざまな文学作品の舞台になってきた天城越えの地を訪ねることです。

横浜から伊豆急の特急踊り子号に乗り、伊豆半島の東海岸線に沿って南下して行きます。やがて、河津桜の本場伊豆急河津町に着きました。

さっそく駅前の観光案内所で説明を聞いて、まずは旧天城トンネルを目指して修善寺行きの路線バスに乗りました。

次第に山が深くなり、やがて河津七滝にかかる手前に上の写真の巨大な河津ループ橋が見えてきました。

踊り子橋
水生地下バス停

 昭和56年にこのループ橋が建設された結果、伊豆東海岸からの天城越えが非常に楽になり、河津ループ橋自体も新らしい観光名所になりました。
ループ橋を通って河津七滝沿いの国道を登り、やがて旧天城トンネルの少し上方にある水生地下バス停で下車しました。 ここから渓流沿いの林道を歩いて、1.8km先の旧天城トンネルに向かいました。林道は舗装されていませんが、十分な幅があり、快適な森林浴が楽しめます。

4、50分も歩いたころ、行く手の山に石造りのトンネルが黒い口を開けているのが見えてきました。旧天城トンネルは、明治37年に完成した日本最長の石造り道路トンネルです。

旧天城トンネル
旧天城トンネル 湯ヶ島側

 全長は445メートルもあり、2001年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されました。

1926年(大正15年)に発表された川端康成の短編小説『伊豆の踊り子』では、主人公は天城トンネルの湯ヶ島側の峠道でにわか雨にあい、あわてて茶店に駆け込みます。

この小説の冒頭、「雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」という名文で有名なくだりです。


旧天城トンネル内部
旧天城トンネル内部

 やっとのことでその峠の茶屋に飛び込んだところ、前夜湯ヶ島の私と同じ宿にいた旅芸人の一行が中で休んでいました。
それまで何度か見かけた十七くらいの踊り子も一緒にいて、私をみるとすぐに自分の座布団をはずし裏返しにして私の前に置いてくれました。

雨がやむのを待ちながら小一時間も休んでいると、旅芸人たちが茶屋から出立つらしい物音が聞こえて来ました。


旧天城トンネル 下田側
旧天城トンネル 下田側

 小説には、天城トンネルの内部が「暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。」と描かれています(上の写真)。

旅芸人一行より少し後に茶屋をでた私は、天城トンネルを通過して下田側(左の写真)に出てまもなく旅芸人一行に追いつきます。それから後、私は旅芸人の一行と次の温泉町湯ヶ野まで河津川の渓谷沿いの三里余りの山道をともにします。

道中、私と踊り子も次第にうちとけて話を交わすようになりました。
旧天城トンネルを下田側に出ると、河津川の渓谷に沿って河津七滝という7つの滝が連なっています。

初景滝の銅像
初景滝の銅像

 上流から4つめの初景滝の前には、小説の主人公「私」と踊り子の銅像がありました(左の写真)。
私のほうは、小説にあるとおり一高の帽子をかぶり、紺飛白を着て袴をはいています。踊り子のほうも、小説のとおりに高島田でしょうか髪を高く結い上げ、小さな太鼓を持っています。

観光客の皆さんが、この銅像の前にきて盛んに写真を撮りあっていました。


渓谷沿いの銅像
渓谷沿いの銅像

 「私」と踊り子が通った修善寺から旧天城トンネルを経由してこの渓谷沿いを下田に抜けるルートは、南伊豆と東海道本線をつなぐ重要な役割を果たしてきましたが、時代とともに限界が明らかになりました。

そこで、昭和45年 (1970年) に旧天城トンネルの東側に新天城トンネルが開削され、それに付随して近代的な道路が建設されました。これで東海道と南伊豆が直結され、南伊豆の開発が急速に進展しました。

上の写真は、上記初景滝から少し下った渓流沿いにあった「私」と踊り子の像で、白っぽい石に刻まれていました。石像はどうやら映画関係者が立てたものらしく、そのそばにはこれまでに制作された「伊豆の踊り子」の映画の一覧表が掲示されていました(下の写真)。

伊豆の踊り子の映画
伊豆の踊り子の映画

 「伊豆の踊り子」は、これまでに6回映画化されているということですが、それら以外にテレビドラマとしてもたびたび制作されています。この作品が、発表以来いかに多数の読者の共感を得てきたかがわかります。

映画のリストの前には観光客が多数きて話し合っていましたが、一番人気は山口百恵・三浦友和が主演した映画のようでした。その映画は昭和49年封切りですが、それ以降は映画化されていないようです。


湯ヶ野の旅館
湯ヶ野の旅館

 滝の見物を一応終えて、新道に出てバスに乗り、下流の温泉地湯ヶ野に向かいました。川端康成さんは、ここの旅館福田家に4年あまりも滞在してこの小説を書きました。

福田家は、渓流にかかる小さな橋のたもとの地味な旅館でした。この旅館の渓流をへだてた向かい側に共同浴場があり、小説の中で踊り子が共同浴場から飛び出してくる有名なシーンはそこをモデルとして書かれたといわれます。

福田家の中には、川端さんが滞在した部屋が当時のまま保存されているそうです。

小説では、主人公と旅芸人一行は、旧天城トンネルを出たのち西に折れて下田に向かいます。

河津ざくら
河津ざくら

 当時は、伊豆の東海岸にはこれといった町はなく、伊豆南端の下田がこのあたりではもっとも大きな町だったのでしょう。
小説には、旅芸人たちは伊豆の大島が本拠地であると書かれてあります。すると、彼らは下田から船で大島に帰ったのでしょう。

現在では伊豆東海岸には温泉地が多数あり、また旧天城トンネルに近い河津町は本州一の早咲きを誇る河津桜(左の写真)で多数の客を集める観光名所となりました。

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