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もう二十年も前のことですが、松尾芭蕉の『奥の細道』のルートをたどろうと思い立ちました。東京・深川の芭蕉庵址から出発し、千住大橋、草加、那須、黒羽町を歩き、さらに白河の関にも行きました。
次は奥州の松島と中尊寺と思いつつ、行きそびれていましたが、今回やっと中尊寺を訪れることができました。
東京から新幹線で一ノ関まで行き、そこからバスで平泉の中尊寺に行きました。バスを降りると目の前に大きな山があり、その山全体が中尊寺の境内になっているようです。 |
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両側に杉の巨木がそそり立つ月見坂という広い参道を、ゆっくりと登って行きます。
中尊寺は、12世紀初頭に奥州藤原氏によって創建されました。奥州藤原氏が滅びた後も源頼朝の庇護を得て隆盛し、本堂、金色堂など40もの堂宇があったそうです。 しかし、1337年に野火が飛び火して、金色堂と経倉の一部を残して残りはすべて焼失してしまいました。
左の写真は本堂の手前にある薬師堂で、古色蒼然たるお堂です。この中には鳥天狗の頭蓋骨があるそうですが・・・・。 |
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やがて、参道の右側、高いところに大きな門が見えてきました。これが中尊寺の山門にあたる門で、この中に中尊寺の本堂があります。
他の大きなお寺の門とは違い、薬医門という控えめな形式です。作家として有名で直木賞もとられた今東光さんがある時期この中尊寺の管主を務めましたが、その今和尚の揮毫がこの門に掲げられているということを後で知りました。
参道から石段をのぼり、この門をくぐって中尊寺の本堂に向かいます。 |
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中尊寺の宗派は天台宗で、現在は天台宗の東北大本山となっています。
上記の大火災で大多数の堂宇が焼失したのち、中尊寺は長い苦難の歴史を体験しました。17世紀半ばに松尾芭蕉が『奥の細道』の旅でここを訪れましたが、芭蕉は長年あこがれてきた中尊寺があまりにも荒廃しているのを見て嘆いたとのことです。
その後は伊達氏の庇護を受けて、中尊寺はようやく復興の道を歩み始めました。 現在の本堂は1909年に再建されたもので、本尊は阿弥陀如来だそうです。 |
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本堂の隣には、峯薬師堂という古いお堂があります。ここの薬師様は、眼病にはとりわけ霊験あらたかだそうです。
さらに金色堂の方向に上って行くと、参道の左側、沢の向こう側に赤い社が見えました。不動明王を祀っている不動堂です。
不動明王は、赤い火炎光背を背負い、剣を立て、忿怒の表情で仏法の障たげとなる魔物を退けます。日本全国でお不動様として親しまれている仏様です。 このお堂では、信者の皆さんのために様々な祈祷を受け付けているそうです。 |
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参道をさらに登って行くと、大日堂、鐘楼など時代のついた素朴なお堂がいくつかありました。鐘楼には1343年に鋳造された梵鐘が納められており、その梵鐘の銘には中尊寺創建の由来が記されてあるそうです。
その近くに弁財天堂があります(左の写真)。伊達家が建立したお堂で、本尊は弁財天、十五童子像も安置されています。
弁財天は水と音楽の神様なので、お堂は池の中島に建てられています。池にはちょうどあやめが鮮やかに咲いており、その中で弁財天堂に赤いのぼりが翻っていました。 |
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弁財天堂の横にある赤い鳥居を入って北に進むと、白山神社という神社があります。慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請して建立したものとされ、中尊寺の北方を鎮守するという役割を担っているそうです。
白山神社の境内に、国の重要文化財に指定されている能楽堂があります。19世紀の中ごろに、伊達藩によって再建奉納されたものだそうです。写真のように、素朴な造りの能楽堂です。 毎年春秋に開催される藤原祭りの際には、中尊寺の僧侶により伝承されている喜多流の能や狂言が上演されるとのことです。 |
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讃衡蔵(さんこうぞう)は、中尊寺ほか山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設です。現在の建物は、開山1150年にあたる2000年に新築されたものです。
もと本坊本尊であった木造阿弥陀如来坐像(重文)、峰の薬師堂にあった木造薬師如来坐像(重文)、閼伽堂にあった木造薬師如来坐像(重文)の三体の丈六巨像をはじめ、金色堂の仏具副葬品、中尊寺経など多くの文化財を収蔵展示しています。
また、奥州藤原氏の遺宝、国宝・重要文化財3000点以上も収蔵しています。 |
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讃衡蔵の入口で拝観券を買って、金色堂に向かいました。 中尊寺金色堂は、中尊寺創建当初からの形で残っている唯一のお堂で、奥州藤原氏によって1124年に建立されました。
現在では、金色堂は覆堂(左の写真)という鉄筋コンクリート造の建物の中に納められています。
覆堂は1965年(昭和40年)に建築されましたが、その前に金色堂は大幅な解体修理を行ってから覆堂内部に設けられた空調つきガラスケースにすっぽりと納められました。
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金色堂は、方三間(正面、側面ともに柱間が三間)の小さな阿弥陀堂です。屋根は宝形造というピラミッド形で、瓦形の木材で屋根を葺いています。
お堂は、扉、壁、軒から縁や床面に至るまですべて黒漆を塗った上に金箔を貼って仕上げられています。堂内の四方には太い巻柱が立てられていますが、その表面には蒔絵と螺鈿で仏像と経文が一面に装飾されています。
金色堂の御本尊は阿弥陀如来で、中央の須弥壇の中に初代清衡公、二代基衡公、三代秀衡公の御遺体と泰衡公の首級が納められているということです。 |

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金色堂を出たところに、経蔵という古いお堂があります(重要文化財)。現在国宝となっている一切経を納めていた建物で、鎌倉末期の建築と考えられています。中尊寺の中で、上記金色堂に次いで古いお堂です。
内部には国宝の螺鈿八角須弥壇が置かれていましたが、現在ではそれは讃衡蔵に保管されています。須弥壇の上には、経蔵の本尊・文殊菩薩像と四侍者像(重要文化財)を安置しています。
この近くには、松尾芭蕉が当寺で詠んだ「ひかり堂」の俳句の句碑があります。 |
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経蔵からさらに奥のほうに行くと、現在の覆堂より以前に金色堂を納めていた旧覆堂があります。 先ほど見てきた現在の覆堂は1962年に建てられたものですが、金色堂の覆堂としてはこれがなんと四代目になるそうです。
この旧覆堂は室町時代に建造されたもので、昭和になって現在の覆堂にバトンタッチするまで700年の永きに渡って貴重な金色堂を守り続けたのです。
現在はなにも置かれてない旧覆堂に入って四方を見回し、その力に深く感謝しました。 |