千葉県北部の都市銚子は、海洋性の穏和な気候と犬吠崎を中心とした海辺の景観で知られ、古来多くの文人墨客がここを訪れています。
この夏、私どもも銚子を訪れ、犬吠崎、海鹿島など市内数ヶ所の文学紀行を行いました。まず、銚子電鉄犬吠駅を出て犬吠崎の方向に歩くと、やがて太平洋を見下ろす断崖の上に出ます。断崖の下に波頭が白いのを眺めながら少し歩くと、遠くに犬吠崎灯台が見えてきました。 |
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そのあたりの断崖の上に、俳人高浜虚子の句碑がありました。
犬吠の
今宵のおぼろ
待つとせん 高浜虚子
太平洋から涌いた霧が少しかかってきたが、その霧により今宵の月は朧(おぼろ)となるであろうか、という句意です。昭和14年4月、虚子が吟行で銚子に来たときの俳句だそうです。 |
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犬吠崎灯台を見てから、灯台の北側に美しい弧を描いて伸びている君ヶ浜という海浜に降りました。温暖なこの地の海岸には、サボテンが大きく茂っていて黄色い美しい花を咲かせていました。
ここには、元東大総長、元文部大臣の有馬朗人さんの句碑がありました。
鳥白し
春あけぼのの
君ヶ浜 有馬朗人
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君ヶ浜から、ゆっくり歩いてまた銚子電鉄犬吠駅の方向に戻りました。このあたりでは、オレンジ色のノウゼンカツラが盛大に咲いているのを方々で見かけました。
犬吠駅の近くで海鮮料理を食べてから、また銚子電鉄に乗り、少し銚子市の方向に戻りました。銚子電鉄の一日乗車券を買ったので、元を取ろうというわけです(^_^)。
海水浴場があるので有名な海鹿島駅で降りて、海岸の方向にゆっくりと歩き始めました。私も、たしか小学校の4、5年のころ、遠足でこの海水浴場に来たことがありました。 |
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海鹿島駅から10分近く歩いたところの高台に、明治の文学者国木田独歩の詩碑がありました。大きな横長の碑石には
なつかしき わが故郷は何処ぞや
彼処にわれは
山林の児なりき 国木田独歩
とありました。独歩27歳のときの詩「山林に自由存す」の一節だそうです。
独歩の親が船で航行中に銚子沖で難破し、そのまま銚子に住み着いたとのことです。 |
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独歩も銚子で生まれ、少年時代は銚子に住んでいました。私どもの家からそう遠くない東京三鷹駅北口には独歩の詩碑があり、やはり「山林に自由存す」の一節が刻まれています。こちらは、白樺派の作家武者小路実篤の書だそうです。また、この詩碑には、独歩の二男で彫刻家の佐土哲二が制作した独歩の上半身レリーフがはめこまれています。 |
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上記独歩詩碑のところで、土地の高校の先生が詩碑の説明をしていらっしゃいました。その先生の案内で、その近くにある「思咢庵」に連れて行っていただきました。 東京市長を務め、「政治の神様」と称された大政治家尾崎行雄・咢堂が、銚子に滞在した家です。
その思咢庵の板戸4枚には、写真のように、咢堂の揮毫がされていました。力のある見事な筆跡でした。高校の先生のお話では、この近くには咢堂の歌碑もあるそうです。 |
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さらに海の方向に少し歩くと、明治から大正にかけて活躍した画家・詩人竹久夢二の詩碑がありました。碑面には、あまりにも有名な「宵待草」の詩が彫られてありました。
まてどくらせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな
竹久夢二
若いころ新聞記者をしていた夢二は、明治43年にこの海鹿島の旅館でひと夏を過ごしました。そのとき、旅館の近所に住むカタという娘と恋仲となりました。 |
この詩は、そのときの夢二の思いを反映したものとされます。土地の人に教えていただいたのですが、宵待草とは月見草とよく似ている花で、それより花が小さく、控えめな野の花でした。
この詩は、大正7年に多忠亮の作曲により歌謡曲となり、大正デカダンスのかげりのあるメロディーに乗って全国津々浦々まで広まりました。私どもが子供のころ聴いたこの曲のレコードは、なんと女優の高峰三枝子さんが歌ったものだそうです。
私どもが訪れたときは、ちょうどカンナの花が詩碑の前で華やかに咲き誇っていました。その向こうの詩碑の中で、夢二の肖像がややうつむき加減で海の方向を見ていました。 |
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帝展参与の日本画家小川芋銭は、晩年、しばしば銚子を訪れ、海鹿島に長滞在して数々の絵画を制作しました。芋銭は俳句もたしなみ、海鹿島海岸を見下ろす崖の上に、次の芋銭の俳句が岩に刻まれています。
大海を
飛びいずるごと
初日の出 小川芋銭
俳人というよりは画家のセンスといったらよいでしょうか、勢いのある中々の俳句ではありませんか。日本でもっとも早く初日の昇る銚子にふさわしい俳句です。 |