別ページ「卯波・鈴木真砂女」に書いたとおり、俳人鈴木真砂女の生家は房総地方に名の通った老舗旅館で、現在は「鴨川グランドホテル」という名前になっています。
今回、房総鴨川と真砂女の名句「卯波」に詠まれた鴨川の名勝仁右衛門島を訪ね、真砂女俳句の背景を取材しました。 |
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卯波(うなみ)とは、旧暦4月(現在の5月)ごろときどきある風の強い日の高い波のことです。私どもが行ったのは5月の連休明けでしたので、ちょうどその時期に当たります。
東京駅から特急ビューわかしおで2時間足らず、終点の安房鴨川に着きました。ここで外房線に乗り換えて隣の太海駅に行き、そこから仁右衛門島に渡ります。
乗り換えの連絡が悪く少し時間が空いたので、安房鴨川駅で外に出て土地の人に教えられた方向に少し歩きました。歩道橋の上に上がると、鴨川グランドホテルの橙色の建物が遠くに見えました。 |
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それを写真に撮ってからまた安房鴨川駅に引き返し、外房線に乗って太海駅に向かいました。 |
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ローカル線の窓外の景色を楽しむ間もないうちに、太海駅に着きました。小さな田舎の駅ですが、改札を出ると、左側に巨大なリゾートホテルがそびえていました。春先菜の花がもっとも早く咲くので知られる温暖の地なので、憧れてくる人も多いのでしょう。
駅員に教えられた方向に10分ほど歩くと、小さな漁港が見えてきました。土地の漁師さんたちが網の繕いをしていましたが、イセエビを獲る網だそうです。 |
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漁港沿いの道の角をまわると、急に行く手に小さな島が見えてきました。これが私どもが目指す仁右衛門島です。 |
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島といっても、上の写真でわかるように漁港の岸から100メートルぐらいしか離れていません。電力線が海をまたいで島の電柱までつながっています(^_^)。しかし、ともかくも岸とは離れているのでれっきとした島で、千葉県唯一の島だそうです。
実は私も千葉県出身ですが、ずっと北の九十九里海岸の産なので、これまでこの房総地方には二、三度しかきたことがありません。千葉県も中々広いものです。
さて、漁港からは写真の手漕ぎの小さな舟で島にわたります。 |
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ほんの100メートルばかりなのに、料金は一人往復で1350円というのは少々お高いと思いました(ブツブツ)。 |
渡し舟の船頭は、もと北海道で漁業をしていた漁師とのことでした。底の岩や海草がはっきり見える澄んだ水の上を櫓をこいで、ゆっくりと島に向かいます。
この島は、仁右衛門さんという個人が代々所有してきました。現在も、当代の仁右衛門さんのお邸が島の上のほうにあります。上記の1350円という乗船料は、この仁右衛門さんの個人資産を見せてもらう料金を含んだものなのでしょう。
この地は房総地方の名勝なので、真砂女も少女時代から何度となく訪れているようです。初夏のころ、たまたま風の強い日にこの島に渡ったときのことでしょうか、真砂女の代表句となった次の作品が生まれました。
あるときは
船より高き
卯波かな 鈴木真砂女
真砂女自筆の句碑には、「舟」ではなく「船」とありました。海岸から遠くに浮かぶ船を見ていると、強い風にあおられた高波でその船がときどきかくされる、という句意でしょうか。 あの小柄な真砂女さんの背中がとても大きく見えるような、ひろびろとした俳句です。虚子の「流れ行く大根の葉」の句、草田男の「萬緑の中や」の句などと並ぶ、昭和を代表する俳句の一つといえましょう。 |
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古来、この地を訪れる歌人、俳人も多いようで、島内には歌碑、句碑がたくさんあります。その中に、松尾芭蕉の句碑がありました(芭蕉はこの島にはきていません)。
海暮れて
鴨の声
ほのかに白し 松尾芭蕉
中の句と下の句が融合していますが、全体としては17文字でできています。
この時期には芭蕉は一時七−七−五などさまざまな形式の俳句を試みています。 |
下の句「ほのかに白し」が印象的で、どこか、蕪村の
菜の花や 鯨も寄らず 海暮れぬ
の俳句に通ずる詩情を感じます。 |
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しばらく歩くと、真砂女の生家鴨川グランドホテルを遠望する崖の上に、お目当ての「卯波」の句碑がありました。思ったより小さな句碑で、真砂女の書で「卯波」の俳句が白い字で書かれてその周りに四角い枠がつけてありました。
道ならぬ中年の恋に周囲の視線は冷たく、このころ真砂女は次の俳句を詠んでいます。
人のそしり
知っての春の
愁いかな 鈴木真砂女
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上記「卯波」の俳句は、その時期の真砂女の作品には珍しいのびやかさがあり、句碑の前に広がる海原を思わせます。 |
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島山の尾根筋には、たくさんの句碑が並んでいます。大正生まれの俳人小林秀穂女の句碑、現在活躍中の女流俳人岡本眸さんの句碑もありました。岡本さんは、多分、真砂女の卯波に惹かれてここにきたものと思われます。
また、水原秋桜子の大きな句碑もあり、俳句が4つも書かれてありました。
巌(いわ)毎に
怒涛をあげぬ
春の海 水原秋桜子
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いかにも「油絵調」と評された秋桜子らしいダイナミックな俳句です。岩の多いこのあたりの海岸に波が寄せる様子を見事にとらえています。 |
真砂女は96歳まで生きましたが、やはり長生きした俳人として有名な富安風生(ふうせい)の句碑が島山の高みにありました。風生は、今から25年前に95歳で一生を終えています。「花を眺めるのと同じに 《老》 というものを眺めている」と自ら語ったそうですが、老齢を詠んだ作品が数多くあるので知られています。
初渚(なぎさ)
踏みて齢(よわい)を
愛しけり 富安風生
この句碑には九十四歳と記されてあるので、亡くなる少し前に詠んだものでしょう。風生は、その高齢でこの島にやってきたのでしょうか。
真砂女の「卯波」はもちろん素晴らしいですが、風生のこの「初渚」も実に瑞々しいではありませんか。 |