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有三は昭和11年から三鷹市の玉川上水沿いの邸に住みましたが、その邸が現在は三鷹市山本有三記念館となっています。
有三は、ここで 『路傍の石』 をはじめ、『戦争とふたりの婦人』、戯曲 『米百俵』 などの作品を書きました。
記念館の門の前には黒い大きな石が置かれてありましたが、これは有三が散歩の途中で見つけて持ってきたもので、現在では 『路傍の石』 の石と呼ばれています。
記念館は重厚な二階建の英国風邸宅で、シャンデリアのある広い応接間、書斎、寝室などからなっています。 |
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世田谷区の静嘉堂文庫も同じく英国風邸宅ですが、建物のイメージがよく似ているのに気が付きました。 |
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有三が好んだということで、邸内には大きなマントルピース(暖炉)が3つもありました。それぞれにスタイルが違っており、個性がありました。冬の寒さが厳しい北欧では暖炉が必要かくべからざる設備だそうですが、ドイツ文学者であった有三も暖炉のイメージに惹かれたのでしょう。
昭和10年に発表された 『真実一路』 は、戦争の激動の中、真実の愛をひたすら求めた女性が女と母親という現実のはざまに苦悩するさまを描いた小説です。
つい最近、これがテレビドラマとして放映されているのを目にしました。 |
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この作品には、女性にとって時代を超えてアッピールするものがあるのでしょう。 |
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邸内には、写真のような優雅なアーチ窓がたくさんありました。最近では、このような造りの建物はほとんど見られなくなりました。
昭和12年には、有三はこの邸で自伝的小説 『路傍の石』 を書き、ついに国民的作家となりました。以来、何百万の青少年がこの小説を読み、主人公愛川吾一少年が人生の苦渋を次第に知りながらひたすら前進するさまに胸を熱くしたことでしょう。私もまた、その何百万のうちの一人でした。
このページを書くに当たり、図書館から 『路傍の石』 を借りて何十年ぶりにまた読みました。 |
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するとこの小説の文体が、他の作家には見たことがないくらいの短文で、簡潔かつ力感に満ちているのがわかりました。 |
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この邸は全体としてはもちろん洋館ですが、一部和室がありました。左は有三が書斎として使っていた部屋とのことでした。記念館には有三の揮毫もありましたが、その著作と同じく簡潔で力感のある書体でした。
さて、作家太宰治が玉川上水で入水自殺したのはよく知られていますが、太宰が住んでいたのもこの邸の近くだったそうです。 あるとき、酒に酔ってこの前を通りかかった太宰が、邸の塀を蹴飛ばして「こんな豪邸にいたら物書きは堕落するぞ」とわめいたということです。 |
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しかし、有三が太宰と違って貧しい家に生まれ、つらい丁稚奉公をし、苦学して大学を出たのを、太宰は知らなかったはずはないと思うのですが。 |
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記念館の北側に玉川上水が流れていますが、その間が「北側庭園」となっています。私どもが行ったのは庭木が黄落のときでしたが、春の桜のシーズンには桜の花の向こうに旧山本邸の背面が見えて実に見事な景観となるそうです。
また、記念館の南側にも「山本有三記念公園」があり、記念館のまわりにはたくさんの人々がキャンバスをひろげたり、スケッチをしたりしていました。
これらの公園を各シーズンにあわせて管理運営するのは大変なお仕事だと思います。 |
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これには、この地域の有三作品を愛するボランティアの皆さんが多数協力されているとのことです。 |
さて、有三は若いときから折に触れ俳句を詠んできました。今回私どもがこの記念館を訪れたのは、一つにはここに有三の俳句の記録があると聞いたからです。記念館の学芸員にお願いし、有三の俳句の一部をコピーさせていただきました。
わが生命
つなぎとめたり
三分粥 山本有三
この句には「はじめて粥を給せられて」と前書きがありました。昭和5年、慶応病院に入院中に詠んだ句とのことです。小説などの著作では簡潔で力感のある短文体を駆使した有三ですが、俳句にもそのスタイルを持ち込んでいるようです。
松やにの
幹を流るる
暑さかな 山本有三
昭和10年の作ですから、名作 『路傍の石』 を書く少し前の句です。盛夏の力感が読者の胸を打ちます。
石の中の
「われ」と向き合う
寒さかな 山本有三
「郷里の文学碑の前にて」と前書きがあります。郷里とは現在の栃木市です。かなり晩年の作と思われます。石とは文学碑の石でもあり、『路傍の石』 の石でもあるのでしょう。そういえば、記念館の中に「石はふくむ 古今の色」という有三自筆の色紙がありました。
体内に
燃ゆるものあり
うすあかり 山本有三
この俳句は「遺作」という区分に入っていました。最晩年有三は湯河原に転地しましたが、そこで詠んだ句と思われます。括弧して(「老いの春」から)とも書かれてありました。老境を自覚しつつも、なお胸中に熱きものを抱くという、いかにも有三らしい作品です。
有三の俳句は、全体として飾らない素朴な句調ながら、よく見かけられる作家の気分転換のための俳句、余技としての俳句とは一線を画するものがあると感じます。 |