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  樋口一葉の址を訪ねて

 樋口一葉は、明治5(1872)年に今の千代田区内幸町で生れました。森鴎外より10年後、夏目漱石より5年後ということになります。作家島崎藤村と同年、俳人高浜虚子より2年早い生まれです。
24歳の若さで亡くなった天才作家一葉の址を、東京都文京区、台東区に訪ねました。

桜木の宿

 東京文京区本郷の東京大学赤門の前に路地がありますが、それを入って行くと法真寺という浄土宗の小さなお寺があります。その東側に一葉が4歳から9歳まで住んだ家がありました。
最晩年(といっても20代前半です)の 『ゆく雲』 という小説の中で、一葉は

上杉の隣家は何宗かの御寺さまにて、寺内広々と桜桃いろいろ植わたしたれば、此方の二階より見下ろすに、雲はたなびく天上界に似て、腰ごろもの観音さま・・・・


と書き、その家を「桜木の宿」と呼んで懐かしんでいます。一葉の短い一生で、もっとも幸わせな時期でした。

一葉記念館
 やがて父が事業に失敗し、明治22年、一葉が17歳のときに病没しました。その後、一葉の苦難の時代が始まります。このころから、小説を書いて生活の資とする決意を固め、半井桃水という大衆作家に師事して習作をはじめました。

明治26年から明治27年にかけて下谷竜泉寺町の長屋に母妹と住み、生計のために駄菓子店を開きました。この時期に、後の名作 『たけくらべ』 を書きはじめたといわれます。
地元の有志の熱心な運動により、昭和36年にこの竜泉寺町に「一葉記念館」が建てられました。
記念館のホールには、一葉の大きな肖像画がありました。

一葉の肖像画

 羽石光志という高名な日本画家の作品とのことで、引き締まった堂々たる肖像画です。一葉の肖像画というのは、これまでいくつか見たことがありますが、どれもきりっとした中高、細面で描かれています。やはり武士の血筋でしょうか。

一葉は、当時有名だった和歌の塾で学び、優れた和歌を多く残しています。また、書家としても有名だったとのことです。
館内には、その一葉の見事な筆跡を伝える和歌の色紙や小説の自筆原稿、手紙などが展示されていました。

そのほかに、当時(明治20年代)の竜泉寺町の町並みの模型、一葉一家が住んでいた二軒長屋の模型もありました。


一葉記念公園

 記念館の前には、「一葉記念公園」という小さな公園があります。そこに「一葉女史たけくらべ記念碑」という石碑があり、一葉の友人であった歌人佐佐木信綱(現存の歌人佐佐木幸綱さんのお父さんです)の書で
そのかみの
 美登利信如らもこの園に
  来あそぶらむか月しろき夜を
          佐佐木信綱
という和歌が刻まれていました。
「美登利」は 『たけくらべ』 の主人公、「信如」はその恋人です。

一葉終焉の地

 駄菓子店の素人商売もうまくゆかず、やがて一葉一家は本郷円山福山町に引越します。ここが、一葉終焉の地となりました。銘酒屋という酌婦を置く飲み屋が並ぶ花町で、名作 『にごりえ』 の主人公「お力」は、この銘酒屋の酌婦をモデルにしたものです。
この地で一葉は、 『たけくらべ』 、 『大つごもり』 、 『にごりえ』 、 『十三夜』 と名作を相次いで発表し、今紫式部と称えられるようになりました。

青空文庫

 この稿を書くにあたり、私はインターネット上の図書館「青空文庫」(これについては別ページを設けます)から 『たけくらべ』 と 『にごりえ』 をダウンロードし、読んで見ました(大昔高校生のころ、ちらと読んだ記憶がありますが、もうまったく忘れていました)。
どちらも比較的サイズが小さく、短編小説といっていいでしょう。

たけくらべ

  『たけくらべ』 が書かれたのは、1896(明治29)年のことで、一葉は24歳でした。
その4年前に翻訳文学の傑作として有名な 『即興詩人』 を発表し、文学者としてすでに重きを成していた森鴎外は、この小説を読んで絶賛しました。

言文一致体小説の最初の大成功となった夏目漱石の 『我輩は猫である』 が書かれる9年前のことで、当時は小説はまだ雅文体が主流でした。
一葉の文体は、紫式部の源氏物語を思わせる長文の雅文です。

一方、鴎外の 『即興詩人』はあたかも和歌を次々に連ねたような短文の雅文です。このように文体が異なる鴎外が、 『たけくらべ』 を称えたのを面白く思います。

『たけくらべ』 では、一葉は、流麗な長文で、主人公美登利の姿をさまざまな場面に応じた色彩で描き分けています。大人の世界に足を踏み入れる少女の心の揺れ動くさまが、女流作家ならではのデリケートな陰影で表現されています。
林芙美子の初期の短編の世界が、どこか、これに近いのに気がつきました。
   廓(くるわ)の水
       美登利を染めぬ
           暮れの春

にごりえ
  『たけくらべ』 と並行して書かれた 『にごりえ』 は、銘酒屋の酌婦お力とそれをめぐる何人かの男たちの物語で、男女の愛の深淵をかいま見せる作品です。短編ながら、読者の心を捉えて離さない迫力があり、明治文学史に残る一葉の最高傑作といえましょう。

お力のかつての恋人源七は、もとは布団屋として商売をしていたのですが、お力に入れあげて身上をなくしてしまい、零落してこの銘酒屋の近くの長屋に住んでいました。
作品の最後で、その源七がお力を忘れられず復縁を迫ってきましたが、お力は応じなかったため、激した源七に刺し殺されます。

歌劇カルメン

 このようなストーリー設定で、すぐ思い浮かべられるのは、メリメの小説 『カルメン』 をもとにしたビゼーの歌劇 《カルメン》 でしょう。

《カルメン》 では、もとの恋人ドン・ホセは、カルメンのために軍隊にいられなくなり、密輸団に引き込まれてお尋ね者になってしまいます。
しかし、カルメンはそのホセを捨て、新しい恋人闘牛士のエスカミーリョに走ります。

歌劇 《カルメン》 の最後で、ドン・ホセは、闘牛場でカルメンに復縁を哀願しますが、カルメンはそれを冷たくあしらいます。

激高したホセは、隠し持ったナイフでカルメンを刺し殺します。このフィナーレは、闘牛場で闘牛士エスカミーリョが華やかな技で牛を倒したのに興奮する観衆の歓呼の合唱をバックに、ドラマティックな盛り上がりを見せます。

にごりえのフィナーレ
 それでは、 『にごりえ』 のフィナーレはどうでしょうか。一葉は、歌劇 《カルメン》 のようなドラマティックな見せ場は作らず、次のように間接的な表現で源七による無理心中があったらしいことを読者に伝えます。

魂祭り過ぎて幾日、まだ盆提燈のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり、一つは駕にて一つはさし擔ぎにて、駕は菊の井の隱居處よりしのびやかに出ぬ、大路に見る人のひそめくを聞けば、彼の子もとんだ運のわるい詰らぬ奴に見込れて可愛さうな事をしたといへば、イヤあれは得心づくだと言ひまする、あの日の夕暮、お寺の山で二人立ばなしをして居たといふ確かな證人もござります、・・・・

これを見て、読者は、お力と源七がどのようなことを言い合ったか、そしてこの二人がどのように死に至ったかを想像します。これはこれで、余韻を残すストーリー設定であるということもできるでしょうが、私にはこれだけの作品のフィナーレとしては少々物足らないように思われます。
   カルメンと
       お力くらべる
           一葉忌



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