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  石田波郷

波郷の句碑

 東京都調布市にある天台宗の古刹深大寺の裏山に、開山堂というお堂があります。深大寺の開祖万功上人の仏像を納めたお堂とのことです。
その開山堂の横の林の中に、俳人石田波郷の句碑がありました。
  吹き起こる  
      秋風鶴を
          歩ましむ  石田波郷
石田波郷は1913年(大正2年)に松山に生まれました。現在の俳句界の長老金子兜太さんより6歳年長ということになります。

その後、子規や虚子も学んだ俳句の名門校ともいうべき松山中学(現在の松山東高校)に進学しました。
当時は、夏目漱石が同中学の英語の教師をしていましたが、漱石も親友子規の指導を受けて俳句に熱中しており、波郷は漱石に自作の俳句を見てもらったとのことです。
上京後、虚子に叛旗を翻したことで知られる水谷秋桜子の教えを受け、やがて秋桜子の主宰する俳句誌「馬酔木」の編集に関わるようになりました。

秋桜子は感覚的、詩的な表現の俳句で知られていますが、波郷の俳句は全体としては秋桜子より静穏な句調で、その秩序の中に叙情を湛えた作品が多いように思われます。
そのように師と少し傾向が異なるせいか、一時秋桜子から破門されたことがあります。
最近は波郷の評価はとみに高まり、特に女性俳句愛好者の間で人気があるそうです。

プラタナスの俳句

 24歳のとき、句集「鶴」を発表しましたが、その時期には叙情的な優れた俳句がたくさんあります。次の俳句は、前記の「風鶴」の句と並んで波郷のもっとも有名な作品といえるでしょう。
  プラタナス
    夜もみどりなる
      夏は来ぬ  石田波郷
中七の「夜もみどりなる」の叙情性が読者の共感を呼んでやみません。波郷の俳句が女性に人気のある理由がわかるような気がいたします。

上の写真は、葛飾区の都立水元公園で見たプラタナスの並木です。

波郷は、病身だったせいか花を好んだようで、男性の俳人としては花の俳句が多いように思われます。

朝顔の俳句

  朝顔の
      紺の彼方の
          月日かな  石田波郷
「紺の彼方の」の語感になんともいえない瑞々しさがあり、朝顔の花に載っている朝露を思わせます。

と同時に、この俳句にはどこかおセンチな甘さを感ずるといったら、波郷ファンの皆様にお叱りをこうむるでしょうか。
この独特の甘さが波郷の持ち味で、それにより多くの女性ファンに支持されてきたといえるでしょう。

写真マニア波郷
 波郷は、終戦の少し前から持病の結核が悪化し、やがて東京療養所に入院しました。そこで、病室仲間のカメラを見て自分も興味をもち、退院後はキャノン、ローライ、ライカなどの高級カメラを入手して本格的な写真マニアになりました。
そのころの俳句に
   秋晴れや
       肩にローライ
           手にライカ   石田波郷
というのがあります。昔の重い大型カメラを2台も持って、嬉々として撮り歩いている波郷の姿が目に見えるようですね。もちろんその他に、ポケットには句帖を入れて歩いていたのでしょう。

しかし、カメラ趣味の俳人というのはあまり聞いたことがありません。波郷以外にだれかいるでしょうか。私のほうは、ローライ、ライカのような高級カメラではなく、安物デジカメですが、やはり遊歩の途中で盛んにシャッターチャンスを探しています。波郷は、カメラ遊歩の大先輩ということになります(^_^)。

江東歳時記

 昭和32年には、読売新聞江東版に波郷の「江東歳時記」が115回連載されました。波郷の俳句と文章に写真をつけたもので、江東、墨田、江戸川、葛飾、足立の江東5区の季節の風物、行事、産業などを題材としています。

写真は専門のカメラマンが撮影しましたが、波郷が撮影した写真も一部紙面に載ったそうです。
  葛飾の
      春や写真に
          句を添えて

上の写真も水元公園の一部ですが、当時はこのような水辺が方々にあったのでしょう。

それらの波郷が撮影した写真の一部が、「風鶴山房」という波郷のご子息が運営しているホームページに掲載されています。ヤフーなどで「風鶴山房」を検索してご覧ください。
その中で、矢切の渡舟(わたし)を撮った写真に次の俳句がつけられていました。
   猫柳
       矢切の渡舟(わたし)
           かがやけり  石田波郷
俳句の芸術的価値はもちろんのこと、写真のほうも貴重な昭和の資料となりますね。

波郷の墓

 深大寺の裏山にある墓所に、波郷の墓がありました。最近造りかえたのでしょうか、新しいきれいな墓でした。誰が供えたのか、大きなみかんが墓前に置かれてありました。

波郷は若いころから病苦と闘いつづけたことでも知られ、子規とならんで病床の俳句が多い俳人でした。墓前のみかんはその波郷の病床を見舞うものでしょうか。
  フリジヤや
      命限りの
          寡(すくな)き句
                     石田波郷

墓の後ろには卒塔婆が立っていましたが、その面には「風鶴院」という戒名が記されてありました。



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