波郷は、終戦の少し前から持病の結核が悪化し、やがて東京療養所に入院しました。そこで、病室仲間のカメラを見て自分も興味をもち、退院後はキャノン、ローライ、ライカなどの高級カメラを入手して本格的な写真マニアになりました。 そのころの俳句に
秋晴れや
肩にローライ
手にライカ 石田波郷
というのがあります。昔の重い大型カメラを2台も持って、嬉々として撮り歩いている波郷の姿が目に見えるようですね。もちろんその他に、ポケットには句帖を入れて歩いていたのでしょう。
しかし、カメラ趣味の俳人というのはあまり聞いたことがありません。波郷以外にだれかいるでしょうか。私のほうは、ローライ、ライカのような高級カメラではなく、安物デジカメですが、やはり遊歩の途中で盛んにシャッターチャンスを探しています。波郷は、カメラ遊歩の大先輩ということになります(^_^)。 |
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昭和32年には、読売新聞江東版に波郷の「江東歳時記」が115回連載されました。波郷の俳句と文章に写真をつけたもので、江東、墨田、江戸川、葛飾、足立の江東5区の季節の風物、行事、産業などを題材としています。
写真は専門のカメラマンが撮影しましたが、波郷が撮影した写真も一部紙面に載ったそうです。
葛飾の
春や写真に
句を添えて
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上の写真も水元公園の一部ですが、当時はこのような水辺が方々にあったのでしょう。
それらの波郷が撮影した写真の一部が、「風鶴山房」という波郷のご子息が運営しているホームページに掲載されています。ヤフーなどで「風鶴山房」を検索してご覧ください。
その中で、矢切の渡舟(わたし)を撮った写真に次の俳句がつけられていました。
猫柳
矢切の渡舟(わたし)
かがやけり 石田波郷
俳句の芸術的価値はもちろんのこと、写真のほうも貴重な昭和の資料となりますね。
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深大寺の裏山にある墓所に、波郷の墓がありました。最近造りかえたのでしょうか、新しいきれいな墓でした。誰が供えたのか、大きなみかんが墓前に置かれてありました。
波郷は若いころから病苦と闘いつづけたことでも知られ、子規とならんで病床の俳句が多い俳人でした。墓前のみかんはその波郷の病床を見舞うものでしょうか。
フリジヤや
命限りの
寡(すくな)き句
石田波郷
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墓の後ろには卒塔婆が立っていましたが、その面には「風鶴院」という戒名が記されてありました。 |