この俳句に詠まれている冬木も、桜だったのでしょうか。 画家・版画家でもあった野見山朱鳥(のみやまあすか)も、人生の三分の一を病床で過ごしたそうです。朱鳥は「ホトトギス」で活躍し、虚子に激賞されましたが、虚子とは明らかに句風が異なります。この俳句にはどこか古典和歌のような趣きがあり、何度も繰り返し読んで味わいたくなります。 |
|
|
歳時記を見ると、冬木とは冬季の樹木の総称であり、落葉・常緑を問わないとしています。
確かに落葉樹の冬木は、その変身ぶりがドラマチックなだけに印象が強いのですが、まわりの落葉樹がすべて葉を落として野もすっかり緑を失う厳冬に緑の巨体でそびえる針葉樹の大木も、思わず胸を打たれるほどの存在感を持っています。
この巨大な樅(モミ)の木は、砧公園の空に向かってそびえ立ち、この時期の低い冬日がその梢にかかって輝いていました。 |
|
|
東京地方では真冬でもほとんど雪が降らないので、すっかり葉を落とした落葉樹の林は隅々まで日の光が行き渡り、非常に明るくなります。
北原白秋が「からまつはさびしかりけり」と詠んだのは浅間山麓の秋の落葉松林ですが、それより少し後の時期になると落葉松の葉が金色に色づき、落葉松林全体が金色に包まれます。
落葉松は、針葉樹でありながら、松、ヒノキなどとは違って季節ごとにドラマティックな演出をして見せる樹種です。 |
黄落の
森の明るさ
かなしめり 山田良穂
そのように明るい森では、心中の寂しさが天にすっかり見透されるようで身の置き所がない、ということでしょう。黄落の華やかさと胸中の寂しさの対照が、大変印象的です。
この黄落の時期からさらに一月も経つと、その落葉樹の金色の葉もすべて落ちてしまい、明るい冬空が見渡せるようになります。 |
|
|
さて、今回の「冬木」のページでは、超大家の俳句を引用するのはやめようと思っていました。上記のように、日ごろそれほど目にしない俳人の作品にも、非常に優れた俳句の数々があるからです。
しかし、その後歳時記やインターネット検索で調べていて与謝蕪村の次の俳句を見つけたとたん、そんな考えは吹き飛んでしまいました。
斧入れて
香におどろくや
冬木立 与謝蕪村
|
なんという鮮やかで瑞々しい俳句でしょうか。灰褐色の冬木に、鋭い音をたてて斧が打ち込まれると、白い切り口から強い生木の香りが発散し、寒林の中を広がります。 まさに大天才蕪村ならではの俳句で、一度読めば一生忘れることはありません。 |