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  誰がために鐘は鳴る

誰がために鐘は鳴る
《誰がために鐘は鳴る》

 昔からの映画ファンなら、大多数が名画 《誰がために鐘は鳴る》 を知っていらっしゃるでしょう。
1943年にサム・ウッド監督によって制作されたこの映画は、ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン両名優の演じる戦場のロマンスで世界的な大ヒットとなりました。
ゲーリー・クーパーはこのとき41歳で、渋い男前が光りました。一方バーグマンは28歳で、瑞々しい美貌で世界中の映画ファンを魅了しました。

この映画は、アメリカのノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイの同名の小説を原作としています。
スペインでは王政が倒れたのち、人民戦線による共和制政府が成立しました。

スペイン北部山岳地帯
スペインの内戦

 しかし、これを不満としたフランコ将軍が1936年に反乱を起こし、全土にわたって激しい内戦になりました。
このとき、世界各国から多数の知識人や労働者が義勇兵として人民戦線側に参加しました。パリでジャーナリストとして活動していたヘミングウェイも、それに身を投じました。

小説の舞台はマドリード北部の山岳地帯(左の写真)で、フランコ側の占領地域にある橋を爆破するために潜入した主人公が、土地のジプシーのゲリラに協力を求めます。


無名戦士の碑
無名戦士像

 戦争はどれも悲惨ですが、同じ民族が血を流し合う大規模な内戦は特にすさまじいものです。フランス革命の後の内戦、アメリカの南北戦争、日本の戊辰戦争など、いずれも地獄のように凄惨ないくさです。

このスペインの内戦も、ヘミングウェイの小説を読むとやはりその例にもれないようです。また、上記の映画の中にも、敵側の人間を高いがけの上から放り投げるシーンがありました。

上の写真は、マドリード王宮前の広場にあった無名戦士像です。戦士像の裏にあった説明がスペイン語でわかりませんでしたが、この内戦の死者を弔うものかと思います。

ピカソの名画 《ゲルニカ》

 内戦勃発後まもなく、フランコ将軍の率いる右翼勢力にはドイツとイタリアが公然と援軍を送り、一方人民戦線にはソビエトが武器を供給するようになりました。ヒトラーは、フランコ将軍支援のために急降下爆撃機隊をスペインに派遣し、1937年4月、スペイン北部バスク地方の古都ゲルニカを徹底的に空爆しました。

自分の郷里に近いゲルニカが壊滅したことを知って、当時パリにいたピカソは激怒し、直ちにゲルニカ空爆をテーマとした大作の制作にかかりました。
一度この 《ゲルニカ》 を見た人はお分かりでしょうが、この作品は、美術館の壁一面を埋めるようなサイズで、しかもその大画面の隅々まで異常なほどの緊迫感に満ちています。

ゲルニカ

  《ゲルニカ》 は、長い間アメリカ・ニューヨークの近代美術館に展示されていましたが、フランコ将軍の死後共和政権の強い要望によりスペインに里帰りしました。
私は、ニューヨークの近代美術館でこの名画を数度見ましたが、現在はマドリードに移ったと聞き、もうこれを見ることはないだろうと思っていました。それが、今回のスペイン旅行で30年ぶりにまたこの名画の前に立つことができ、心底からうれしく思いました。

ヘミングウェイ
小説執筆と映画化

 このように、ドイツなどの支援を受けた右翼側が攻勢を強める一方で、人民戦線側は内部分裂のため次第に弱体化しました。
ついに1939年に首都マドリードが陥落し、スペインにフランコ将軍の独裁政権が誕生しました。
ヘミングウェイはやむを得ずパリに帰り、国際義勇軍従軍の経験をもとに、1940年に小説 『誰がために鐘は鳴る』 を発表しました。それより前に、ヘミングウェイは 『日はまた昇る』、 『武器よさらば』 などの作品を発表して文名が上がっていましたが、それらと比較して『誰がために鐘は鳴る』 はやはり別格のスケールの大きさを感じさせます。

特に全体の構成の巧みさ、ドラマティックなストーリー展開がみごとです。そのため、発表と同時に欧米でセンセーションを巻き起こし、ヘミングウェイは一躍世界的作家となりました。

この作品は、スペインを舞台としてエクゾティックな雰囲気もあり、大変映画向きのストーリーです。そこで、すぐに映画化の話がもちあがり、ヘミングウェイの友人でもあったゲーリー・クーパーが主演することになりました。主演女優のほうは、ヘミングウェイの強い希望によりバーグマンにきまったそうです。

鐘楼
スペインの弔鐘

 小説の巻頭に、ヘミングウェイはジョン・ダンの詩の一節を引いています。

  誰がために鐘は鳴ると問うなかれ
  そは汝の弔いのために鳴る

義を感じてアメリカからスペイン内戦に身を投じた主人公も、やはりイベリアの地で教会の鐘で弔われることとなりました。

写真は、マドリードの近くで見かけた教会の鐘楼です。

ヨーロッパの教会の鐘は、通常音の高さの異なる複数の鐘を組合わせて構成されています。
ゲルニカで2000人以上の村人がナチスの空爆により命を落としたのは、1937年の春4月でした。私には、小説の主人公の死と、ほぼ時を同じくして起こったゲルニカの悲劇とがオーバーラップするように感じられます。

    ゲルニカに
        ひびく弔鐘
            春むごし
この小説は、アメリカ人作家ヘミングウェイが書いたものです。しかし私にとっては、スペイン文学といえば、 『ドンキホーテ』 ではなくまずこの小説が思いだされます。もちろんスペインには他にも優れた文学作品がたくさんあるのに、私がそれらを知らないためなのですが。

老漁師
その後のヘミングウェイ

 行動派の作家ヘミングウェイは、世界中を旅行し、さまざまな危険にもあいました。
上記 『誰がために鐘は鳴る』 の数年前には、アフリカに取材旅行をして 『キリマンジェロの雪』 という短編を書いています。この短編をもとに映画が制作されたので、ご存知の方も多いでしょう。

ヘミングウェイは大都市シカゴの生まれでしたが、晩年はアメリカの街中には住まず、最後はフロリダ半島の南端キーウェストにスペイン風の屋敷を構えました。スペインの雰囲気のあるその地が気に入ったのでしょう。

その地で晩年の傑作 『老人と海』 をあらわし、やがてノーベル賞を受賞しました。
左は、ピカソが14歳のときに描いた名画 《老漁師》 です。

ヘミングウェイは、晩年には『キリマンジェロの雪』のストーリーそのままにアフリカ旅行の負傷がもとで心身ともに病み、1961年にアイダホ州で猟銃自殺を遂げました。まだ61歳の若さでした。




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