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文学紀行 |
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別項にある隅田川河畔の芭蕉像から歩いて3分ほどのところに、江東区立芭蕉記念館があります。 ここには芭蕉とその弟子たちの短冊や書簡、絵画など関連資料が展示されており、また芭蕉などに関係する学術研究を収蔵した図書室があります。
芭蕉は蛙が大変好きだったようで、芭蕉庵の庭に石の蛙を置いていました。
その後、芭蕉庵は失われてしまい、所在がわからなくなったのですが、大正6年、隅田川に大津波が発生したあと、その石蛙が出土しました。 |
その蛙さんが、芭蕉記念館内のガラスケースの中で分厚い紫座布団の上に鎮座していました(^_^)。
この記念館では、芭蕉に直接関係しない企画展示も盛んに行っているようで、現在は「文芸に魅せられた女性たち」というテーマで、江戸期から現代までの女性たちの俳句・和歌資料95点を公開しています。それに付随して、大学の国文科の先生による記念講演も行われたとのことです。
私も女流俳人の歴史に関心をもっているので、その講演をぜひ拝聴したく思いました。
芭蕉記念館の庭園には、芭蕉の俳句、著作に出てくる植物が多数植えられています。 |
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門の横には芭蕉の木が植えられており、その大きな葉が風にはためいていました。
この庭園では、ときどき「ジュニア俳句教室」という小学生を対象とした俳句教室が行われ、庭園を散策しながら季題を発見して俳句を作る指導を行っているとのことです。
庭園には、知らない人のない「古池や」の俳句の句碑がありました。碑の筆跡は、芭蕉の真筆と思われます。
古池や
蛙飛び込む
水の音 松尾芭蕉
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記念館の庭園には、次の俳句の句碑もありました。
草の戸も
住み替わる代ぞ
雛の家 松尾芭蕉
この俳句は「奥の細道」の旅の出立に際して詠んだといわれ、「奥の細道」の第一句となっています。
芭蕉は、「奥の細道」の旅に出る少し前に愛着去りがたい芭蕉庵を売却し、弟子の杉山杉風が用意してくれた仮住まいに引越しました。 |
当時としてはかなりの高齢で、このような遠い旅路に出るというので、芭蕉は相当な覚悟を持っていたと思われます。万一の事態に備えて自分の資産を整理するとともに、その売却代金を旅行の路銀に当てたのでしょう。
上記の俳句は、住み慣れた芭蕉庵も現在は持ち主が替わったが、ちょうど3月(旧暦)の節句の時期でもあり、その家では新しい持ち主がひな祭りの飾り付けをしているであろうか、という意味です。 |
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記念館の庭園には築山があり、その一角に芭蕉庵を模した小さなほこらがありました。その中に、芭蕉の石像が宗匠の姿でチンと座っていました。
さて、この旅立ちの前、元禄二年の正月早々、芭蕉は次の俳句を詠んでいます。山杉風が用意してくれた仮住まいに引越しする前に、芭蕉庵で詠んだものと思われます。
おもしろや
今年の春も
旅の空 松尾芭蕉
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今年の春には「奥の細道」の大旅行を決行するというのを、自らに言いきかせ、周囲にも知らせたのでしょうか。この旅行が「おもしろや」ばかりではないというのは、芭蕉にはよくわかっていたでしょう。
芭蕉は、上記の句と同じころ、次の俳句も詠んでいます。 |
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朝夜さを(あさよさを)
誰まつしまぞ
片心 松尾芭蕉
朝も夜も、松島への思いが心に浮かんでならない。それは、私を待つ人が誰かその島にいて、私のことを思っているからであろうか、という意味です。 「まつしま」は、「待つ」と地名「松島」とを掛けています。
この俳句も、「奥の細道」の旅で、古来和歌にも詠まれている名勝松島を見たいという熱き思いを語ったものでしょう。 |