子規、漱石、碧梧桐、虚子など、この時期の俳人の活動の場となった愛媛県松山は、以来、現在に至るまで「俳都」として万人に認められています。その後も、石田波郷など優れた俳人が松山から生まれています。
一方で、子規が松山にもたらした野球も、この地にしっかりと根付きました。現在でも松山には高校野球の強豪チームがいくつもあり、またそれらの高校の出身者がプロ野球でも大活躍しています。「俳都」は「球都」でもあるのです。
現在松山には、「坊ちゃんスタジアム」、「マドンナスタジアム」という野球場があり、また「の・ボールミュージアム」という野球資料博物館もあるそうです。
また、四国各地は夏祭りが盛んで、たとえば徳島は阿波踊りで有名です。この松山の夏祭りは、なんと「野球拳」が名物だそうです(^_^)。私どもも、ぜひ一度松山を訪れたいと思っています。
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虚子は、子規から俳誌ホトトギスを引き継いで主宰となりましたが、そこに水原秋桜子が入門し、やがて同人となりました。
しかし、その後秋桜子は芸術上の論争からホトトギスを離脱し、俳誌 『馬酔木(あしび)』 を主宰して以降独自の俳風を形成して行きました。
秋桜子は長生きしたので、その晩年にはプロ野球が全盛期になりました。秋桜子はやがて熱烈なるプロ野球ファンになったようで、その時期にナイトゲームなどプロ野球を題材とした俳句を多数詠んでいます。 |
ナイターの
光芒(こうぼう)
大河へだてけり 水原秋桜子
私の妻が、秋桜子、加藤楸邨、山本健吉編の分厚い歳時記(講談社刊)を持っていますが、その中の「晩夏」の部分に「ナイター」という季語が載っています。その「ナイター」の解説は、編者の筆頭秋桜子がみずから筆を取って書いています(^_^)。
また、山口誓子のナイターの俳句も、そこに掲載されています。 |