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  東京惜年

 多事多難だった本年も、残り数日となりました。私どものウェブも、本格的に運営しはじめてから約一年になります。私どももようやく年末の雑事が終わり、本年最後となるこのページを作成しています。
俳句の世界では、師走、年の暮は特別の思い入れがあるように感じます。歳時記をみても、この時期にテーマをとって詠まれた俳句のほうが、新年の俳句よりもずっと多いようです。今回は、主として江戸あるいは東京の年の暮に関係のある俳句を取り上げましょう。

野ざらし紀行
野ざらし紀行

 まず、芭蕉の 『野ざらし紀行』 にある次の俳句を見ましょう。
  年暮れぬ
      笠きて草鞋
          はきながら 松尾芭蕉
漂泊の詩人芭蕉が詠んだ歳末の俳句です。のっけから恐縮ですが、この俳句は江戸ではなく郷里の伊賀で詠まれたといわれます。芭蕉は、お母さんが亡くなったとき郷里に帰れずその後数年経ってからようやく帰郷しました。その帰郷の旅の紀行文が 『野ざらし紀行』 です。

このとき芭蕉は41歳で、少し前の難解で字余りの多い句調を脱し、後に蕉風といわれる内面的な句風を確立しつつありました。

この芭蕉の俳句を読んで感激した蕪村が、次の俳句を詠みました。
   芭蕉去りて
       その後いまだ
           年暮れず   与謝蕪村
芭蕉はもう亡くなっているが、芭蕉の「年暮れぬ」の名句に及ぶ俳句はその後作られていない。まるでその後まだ年が暮れていないように感じる、という句意です。

冬日
片隅にある冬日

 12月22日頃の「冬至」は、一年のうちで太陽高度が最も低くなり、昼間の長さが一番短い日です。冬至の前後では、正午でも太陽は南の空の真上からかなり下がった位置にあります。そしていつの間にやら夕方になって、冬日はひっそりと姿を消してしまうのです。

  大空の
      片隅にある
          冬日かな 高浜虚子?
太陽が低い位置にあるために、空の中央部がひろびろと見渡されます。

この時期の広々とした空と薄い日の光を感じさせるこの作品は、私の大好きな俳句の一つです。これは確か虚子の俳句だったと思うのですが、検索してもわかりませんでした。どなたか、教えてくだされば幸いです。
東京では建物が立て込んでいるため、太陽高度が低くなるこの時期は、日中でも太陽の姿が見えないことが多いのです。

虚子には、次の「年惜しむ」の佳句もあります(日ごろ虚子はあまり好きではないなどといっていながら、ついこのように虚子の俳句を引くことが多いのには、自分でも驚きます)。
     年惜しむ
         心うれひに
             変りけり  高浜虚子
私どもの年齢になりますと、まさにこの通りでして、新年は「嬉しくもあり、嬉しくもなし」といったところです。この俳句の淡々たる表現が、身にしみます。

下駄
下駄買って

 虚子より5年ほど後に生まれた作家永井荷風は、宝井其角、夏目漱石と続く江戸俳句の伝統を引き継ぐ俳人でもありました。
江戸を愛し、東京を愛した荷風は、専門の俳人にはない大都市生活者のセンスで瑞々しい俳句の数々を残しました。

  下駄買って
      箪笥(たんす)の上や
          年の暮れ    永井荷風
東京散策の記録を多数残している荷風ですが、明日、正月になったら、その下駄を下ろして颯爽と下町を歩くつもりでしょうか。

 その永井荷風より10年ほど後に生まれた久保田万太郎も、やはり江戸俳句の伝統を引き継ぐ俳人の一人です。その久保田万太郎に、次の行く年の俳句があります。

     行く年や
         むざと剥ぎたる
             烏賊の皮  久保田万太郎
いかにも大都市生活者らしいシャープな感性と思いますが、いかがでしょうか。

雪景色
東京の雪景色

 久保田万太郎より13年ほど後に熊本に生まれた中村汀女は、結婚後はほとんど東京・世田谷に住みました。新聞やテレビを通じて俳句を女性層に普及させた功績は、大変大きなものがあります。
その中村汀女に、次の「年歩む」の俳句があります。
  年歩む
      雪おほかたは
          車馬に消え 中村汀女
現在とは違い、昔は東京にもかなりの積雪がありました。

そのころは、世田谷など現在の東京区部でもまだ馬車がかなり使われていたようで、「車馬」という言葉に実感があります。

冬日
日のありどころ

 芥川龍之介は、明治25年(西暦1892年)に生まれましたので、前記久保田万太郎より3年ほど後輩ということになります。俳人水原秋桜子や作家吉川英治と同年の生まれです。
吉川英治と同年というと、やや意外な感じがしますが、それは龍之介が35歳の若さで亡くなっているためです。

夏目漱石の弟子であった芥川龍之介も、やはり江戸俳句の伝統を引き継ぐ俳人の一人といえるのではないでしょうか。自らの小説と同じような鋭敏なセンスの俳句を、たくさん残しています。

その中に有名な次の「木がらし」の俳句があります。

    木がらしや
        東京の日の
            ありどころ    芥川龍之介
上記虚子の「大空」の俳句と同じように、冬至のころの冬日の低さを詠んだものですが、歳末のわびしさがにじみ出て、読者の共感を呼んでやみません。東京の年の暮を詠んだ秀句といえましょう。
また、龍之介には次の木がらしの名句もあります。
    木がらしや
        目刺にのこる
            海の色
                        
    胸中の
        凩(木がらし)
            咳となりにけり  芥川龍之介
どちらもあまりにも素晴らしい出来で、ただ感嘆するほかありません。




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