|
|
虚子より5年ほど後に生まれた作家永井荷風は、宝井其角、夏目漱石と続く江戸俳句の伝統を引き継ぐ俳人でもありました。
江戸を愛し、東京を愛した荷風は、専門の俳人にはない大都市生活者のセンスで瑞々しい俳句の数々を残しました。
下駄買って
箪笥(たんす)の上や
年の暮れ 永井荷風
東京散策の記録を多数残している荷風ですが、明日、正月になったら、その下駄を下ろして颯爽と下町を歩くつもりでしょうか。
|
その永井荷風より10年ほど後に生まれた久保田万太郎も、やはり江戸俳句の伝統を引き継ぐ俳人の一人です。その久保田万太郎に、次の行く年の俳句があります。
行く年や
むざと剥ぎたる
烏賊の皮 久保田万太郎
いかにも大都市生活者らしいシャープな感性と思いますが、いかがでしょうか。 |
|
|
久保田万太郎より13年ほど後に熊本に生まれた中村汀女は、結婚後はほとんど東京・世田谷に住みました。新聞やテレビを通じて俳句を女性層に普及させた功績は、大変大きなものがあります。
その中村汀女に、次の「年歩む」の俳句があります。
年歩む
雪おほかたは
車馬に消え 中村汀女
現在とは違い、昔は東京にもかなりの積雪がありました。 |
|
そのころは、世田谷など現在の東京区部でもまだ馬車がかなり使われていたようで、「車馬」という言葉に実感があります。 |
|
|
芥川龍之介は、明治25年(西暦1892年)に生まれましたので、前記久保田万太郎より3年ほど後輩ということになります。俳人水原秋桜子や作家吉川英治と同年の生まれです。
吉川英治と同年というと、やや意外な感じがしますが、それは龍之介が35歳の若さで亡くなっているためです。
夏目漱石の弟子であった芥川龍之介も、やはり江戸俳句の伝統を引き継ぐ俳人の一人といえるのではないでしょうか。自らの小説と同じような鋭敏なセンスの俳句を、たくさん残しています。 |
その中に有名な次の「木がらし」の俳句があります。
木がらしや
東京の日の
ありどころ 芥川龍之介
上記虚子の「大空」の俳句と同じように、冬至のころの冬日の低さを詠んだものですが、歳末のわびしさがにじみ出て、読者の共感を呼んでやみません。東京の年の暮を詠んだ秀句といえましょう。
また、龍之介には次の木がらしの名句もあります。
木がらしや
目刺にのこる
海の色
胸中の
凩(木がらし)
咳となりにけり 芥川龍之介
どちらもあまりにも素晴らしい出来で、ただ感嘆するほかありません。 |