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  木槿・野ざらし紀行

木槿(むくげ)の句碑

 まさに犬も歩けば棒に当たるです。私は東京をはじめ方々で散歩をしますが、ある日の散歩で立ち寄った世田谷区用賀の真福寺というお寺で松尾芭蕉の句碑を見つけました。

 道の辺(べ)の  
     木槿(むくげ)は馬に 
         喰われけり  松尾芭蕉

この句碑は、江戸時代の末に世田谷在住の俳人鈴木天由が建てたものとされます。句碑の周りには木槿(むくげ)の木が何本も植えられていました。

のっけから恐縮ですが、この俳句は江戸で詠まれたものではありません。

芭蕉は、お母さんが故郷大垣で亡くなったときに帰郷できず、大変悲しい思いをしました。その翌年やっと帰郷の旅に出ることができましたが、その旅の中で作られたのが句集 『野ざらし紀行』 です。上記木槿の俳句はその野ざらし紀行に収められており、今の静岡県金谷で詠まれたものです。

芭蕉の俳句としては平凡ですが、この平明な句調を愛する人も多いようです。なお、句碑の書面は、書体から芭蕉の自筆と思われます。

   木槿(むくげ)白し
       夕闇迫る
           句碑のかげ

木槿(むくげ)

 むくげは、盛夏、他の花々が強烈な日照りでしぼんでしまう時期に盛大に花を咲かせます。その力強さと花の気品の高さにより、韓国では国花に定められています。

私もこの花が大好きで、猫の額のごとき我が家の庭にも植えてあります。

しかし、むくげは渡来植物なので、私はこれが日本に入ってきたのは明治になってからかと思っていました。
芭蕉の時代にすでにどこの道端にも咲いていて、馬にも食われるほどであったとは、まったく知りませんでした。

芭蕉も、帰郷の旅の途中で優しい姿の中に旺盛な生命力を感じさせるこの花を見て、一時の安らぎを感じたのでしょうか。

野ざらし紀行

 貞享元年八月、芭蕉は門人の苗村千里を従えて東海道の帰省の旅に出立しました。このとき芭蕉は、42歳になっていました。
旅立ちの句は
 野ざらしを  
     心に風の
         しむ身かな  松尾芭蕉
でした。野ざらしとは、この旅で道中に倒れ、白骨となって捨て置かれても悔いはないという意味です。その後、上記金谷などを経て故郷大垣に帰り、ようやく両親の墓参りをすることができました。

さらに近畿地方各地を遍歴し、木曽路を通って9ヶ月後に江戸に帰着しました。

この旅の後に書かれた『野ざらし紀行』 は、それまでに類のない俳句と散文との融合による紀行文学でした。後の芭蕉の名作 『鹿島紀行』、『奥の細道』 に引き継がれる新しい文学ジャンルがここに誕生したのです。

小夜の中山

 江戸を出て、上記「むくげ」の句が詠まれた金谷を過ぎてまもなく、菊川を過ぎると古来「小夜の中山」として有名な土地に至ります。このあたりは、日照時間が長く土壌の排水が良いので良質の茶を産することで知られています。
ここで平安時代の歌人西行は次の和歌を詠みました。
 年たけて
    また越ゆべしと思ひきや
      命なりけり小夜の中山 西行

茶の煙

 芭蕉は西行に深く傾倒しており、この歌枕の地を訪れるのを楽しみにしていました。
この「小夜の中山」の部分を、『野ざらし紀行』から引用しましょう。
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 二十日余りの月のかすかに見えて、山の根ぎはいと闇きに、馬上に鞭を垂れて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に到りて忽ち驚く。
  馬に寝て
      残夢月遠し
          茶の煙  松尾芭蕉

この時期の芭蕉に多く見られる字あまりの俳句ですが、どこか、漢詩を思わせる趣があります。「忽ち驚く」とは、敬愛する西行の歌枕の地についたところ思わず目がさめてしまったということでしょう。また「茶の煙」とは、早朝茶を淹れるかまどの煙の意味で、芭蕉が夜も明けきらない早朝に宿をたって中山に至ったのを示しています。

西行と芭蕉、ともに旅を芸術の糧とした二人の天才の接点が、この茶の郷小夜の中山にありました。



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