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  雛あらば・子規

白菊の花の和歌

 藤原定家は、新古今期までの代表的な歌人百人の作品から各人一首を選んで小倉百人一首と呼ばれる和歌集を作りました。その中に、有名な次の和歌があります。
 心あてに
   折らばや折らむはつ霜の
     置きまどはせる白菊の花
           凡河内躬恒
冬の寒い朝、庭の白菊に一面に白い初霜がつき、どこが花かわからなくなってしまった。これが花かと見当をつけて菊の花を折り取ろう、という和歌です。

正岡子規は、明治31年に発表した 『歌よみに与ふる書』 で現実写生による新時代の和歌の歌論を述べていますが、その中で、上記の和歌について次のように酷評しました。
 このみつねの歌、一文半文の値打ちもこれ無き駄歌に御座候。この歌は嘘の趣向なり、初霜が置いたぐらいで白菊が見えなくなる気遣いはこれ無き候。(中略)嘘を詠むなら全くない事、とてつもなき嘘を詠むべし、しからざればありのままに正直に詠むがよろしく候。
要は、理屈に合った内容の和歌を詠めというのでしょうか。こんな堅苦しいことをいわれたのでは、歌詠みの自由な創造性は発揮しにくいと思います。和歌、俳句は、植物学の論文とは違うのです。

上記の和歌は、和歌の神様藤原定家により百人一首に選ばれたということで、従来名歌といわれてきたのですが、この子規の評により、以降は一転して駄歌と見なされるようになりました(^_^)。
しかし、それら大家の影響を受けないように心がけて読むと、初冬の季節感をうまく取り入れ、ウィットでまとめた手腕は平凡ではないと思いますが、いかがでしょうか。

最上川

 芭蕉は、奥の細道の旅行で平泉に行き、その後最上川上流から舟で下って日本海岸に出ました。その最上川下りの際、次の有名な俳句が生まれました。
  五月雨を
      集めて早し
          最上川   松尾芭蕉
大河最上川の梅雨末期の急流を詠んだもので、芭蕉ならではのスケールの大きさ、スピード感が読者を圧倒します。なお、芭蕉はこの俳句の中七を最初は「集めて涼し」とし、後に「集めて早し」に直したそうです。

芭蕉が最上川下りの船に乗り込んだ山形県本合海(もとあいかい)には、「史蹟芭蕉乗船之地」という標柱があり、そのそばにこの俳句の句碑が立っているということです。
一方、与謝蕪村は
   五月雨や
       大河を前に
           家二軒   与謝蕪村
という俳句を残しています。この句は、上記芭蕉の地で詠んだというものではないようですが、芭蕉を敬慕していた蕪村のことですから、芭蕉の俳句を意識して作ったのは間違いのないところでしょう。

夏を流すや

 子規は、上記二人の大天才の俳句を比較して、蕪村の俳句のほうが優れていると述べています。
子規は、若いころから方々に残されていた蕪村の俳句を収集し、それらを系統的に研究してきました。死ぬ数日前にも弟子虚子らとともに蕪村俳句の研究会を行なっており、蕪村に強く惹かれていたのがわかります。

上記芭蕉の乗船の地本合海は、古来俳人や俳句愛好家が多く訪れています。子規もまた、その芭蕉乗船の地に行って、次の俳句を詠みました。

   ずんずんと
       夏を流すや
           最上川   正岡子規
 この俳句には、上記蕪村の俳句の文人画的構成、そして増水する大河のほとりにある家の住人の不安といった詩的内容は見られません。どちらかというと芭蕉に近い、率直で力強い句調です。
最初に述べた「歌よみに与ふる書」で主張している和歌の理論もそうですが、やはり「ありのままに正直に詠む」率直な表現が、詩人としての子規の資質ということでしょうか。

雪の深さを

 闘病生活が長かった子規には、病床の俳句がたくさんあります。それらの中で最も有名なものが、次の雪の俳句でしょう。
  いくたびも
      雪の深さを
          尋ねけり  正岡子規
外で雪が積もり始めると、人通りが少なくなり、また騒音が雪に吸収されるので、次第に物音がしなくなります。
病床に臥していて、外が次第に静かになり、寒さもつのってきたので、雪がかなり積もってきたのであろうと想像します。

この雪で、自分の病状ももっと悪くなるのではないかと不安がつのってきました。看護してくれる家人が近くに来るたびに、つい何度も、外では雪がどのくらい積もったかと尋ねてしまいました。
ただそれだけの俳句ですが、病床の作者子規の不安が読者にひしひしと伝わってきます。ここには、俳句の原点の一つがあると感じます。

雛あらば

 最後に、子規の率直な俳句を、もう一つご紹介しましょう。
  雛あらば
      娘あらばと
          思ひけり 正岡子規
世間では雛祭りで、女児たちが着飾って祝ってもらっているのを見ての俳句でしょうか。

生涯独身だった子規は、晩年(といっても30代です)、松山からお母さんと妹さんを東京に呼び寄せ、一緒に暮らしました。子規の長い闘病生活の間、これら二人の女性が献身的に子規の世話をしたとのことです。

当然子規は、女性の優しさを、身にしみて感じていたでしょう。

雛の節句の時期に、独身だった子規は、おもわずこの俳句を詠んだのでしょう。たださらりと詠んだだけですが、なんという優しくまた瑞々しい俳句でしょうか。女児の愛らしさ、いとおしさを知っている者すべての共感を呼んでやみません。




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