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  目刺にのこる海の色

 芥川龍之介は、明治25(1892)年に東京に生まれました。俳人水原秋桜子、作家吉川英治と同年生まれであったというと、少々意外な感がありますが、それは、龍之介が37歳の若さで亡くなっているためです。水原秋桜子は昭和54年に88歳で生涯を終えましたが、龍之介は昭和2年にこの世を去っています。

早くから幅広い文学活動を行い、東大在学中に発表した短編小説『鼻』で夏目漱石に認められて、文壇にデビューしました。その後も名作を次々に発表し、きらびやかで緊張感のある文体と巧みな構成で、近代的な短編小説という文学ジャンルを日本に確立しました。

龍之介と俳句

 龍之介は、少年時代から俳句や短歌に親しんできました。次の俳句は、龍之介が小学校4年のときの作品だそうです。

  落ち葉焚いて
      葉守りの神を
          見し夜かな   龍之介
「葉守りの神」とは、森の木々に宿ってそれらを守る神のことです。夜、落ち葉を集めて焚き火をしたところ、その炎の明かりで森の木々がゆらゆらと照らされ、大木の枝に葉守りの神がちらりと見えたように思われた、という句意でしょうか。

俳句の造りといい、奥行きといい、とても小学校4年生の俳句とは思えません。
龍之介は、やがて高浜虚子に入門し、本格的に俳句を学びはじめました。芭蕉に深く傾倒し、『芭蕉雑記』など芭蕉に関する研究論文や、小説『枯野妙』を著わしています。龍之介は、もともと詩的才能が豊かだった上に、このように俳句について大変な勉強をしていたのです。

小説家と俳句
 余談になりますが、私にとって、「小説家と俳句」というのは今後の大研究テーマの一つです。森鴎外は優れた歌人でもありましたが、鴎外より少し後の夏目漱石は、親友子規の指導のもと、俳句に熱中しました。漱石以降の作家は、漱石の影響もあってか俳句に親しむ向きが多くなりました。
それらの作家の中で、明治12年(1879年)生まれの永井荷風と、この芥川龍之介は、俳句の才能からいっても、また俳句への熱中度から見ても、双璧というべきでしょう。

夏目漱石没す

 龍之介を文壇に送り出してくれた漱石は、龍之介が東大を卒業した1916年の12月に亡くなりました。漱石は、そのときまだ50歳の若さでした。
敬慕する師を突然失い、龍之介は大変なショックを受けたようで、漱石一周忌のときに次の俳句を詠みました。

  人去つて
      むなしき菊や
          白き咲く  芥川龍之介

漱石先生の葬式のときは、白菊の季節であった。

それから一年、またその季節になったが、白菊を見るにつけ漱石なき世のむなしさを感ずるばかりである、という句意です。「むなしき」という言葉の語感がこれほど生かされた俳句は、私は他に知りません。
なお、漱石には、次の菊の名句があります。
   あるだけの
       菊投げ入れよ
           棺の中    夏目漱石
漱石に手向けた龍之介の白菊の秀句は、あるいはこの漱石の菊の俳句を意識したものだったのでしょうか。
次の俳句でも、やはり、龍之介の言葉の感覚が信じがたいほどシャープです。

蝗つかめば
 初秋の
     蝗(いなご)つかめば
         柔らかき  芥川龍之介
私は千葉県の田舎に生まれ育ったので、秋になると田んぼで盛んに蝗をつかまえたりして遊びました。そっと手を伸ばして捕まえた瞬間、蝗の腹がふわふわと頼りないくらい柔らかかったのを、今でも指の先の感覚で思い出します。

なんという瑞々しい初秋の俳句でしょうか。まさに芭蕉の俳句にある「日はつれなくも秋の風」そのままのさわやかさを感じます。


「小兎も」の俳句

 龍之介には、次の可愛らしい兎の俳句もあります。
  小兎も
      片耳垂るる
          大暑かな  芥川龍之介
私も昔兎を飼っていたので、この俳句のような兎の様子をよく知っています。

最近は日本兎が少ないようですが、昔の兎は、あらかたこの写真のような耳の長い日本古来の白兎でした。
耳が長くて羽根のように見えるせいか、昔の兎は一羽、二羽と数えました。

捕まえるときも、その長い耳をつかんでエイと引っぱりあげたものです(^_^) 。

この俳句の上五は、龍之介は最初上記のように「子兎も」と詠みました。しかし、横から余計な口出しをする人は、昔も今と同じようにたくさんいたようです(^_^) 。
ある友達が、「子兎も」というのは説明しすぎる、「兎も」のほうがよいと言い出し、どうしても譲らなかったそうです。これに対し龍之介は、「兎も」では四音しかなく落ち着かないと反論しましたが、最後はこの友達の言うとおり「兎も」として発表しました。

 しかし、兎を飼っていた私の経験では、兎は毛が長いので概して夏場に弱いものです。特にまだ体力の乏しい子兎は、夏場に弱ってぐんなりとなりやすいのです。そのような場合、この俳句にあるように「片耳垂るる」となることがありました。
ということで、ここは龍之介が最初に詠んだとおり、上五を「子兎も」として掲載させていただきました。

目刺にのこる

 龍之介の俳句とあれば、やはり次の目刺の名句を挙げなければなりません。
  木枯らしや
      目刺にのこる
          海の色  芥川龍之介
家の戸を揺らして吹きつのる木枯らしと部屋にある目刺の「海の色」の対比が、はっとするくらい鮮やかです。私ども凡人では、「海の色」という言葉はとても発想できません。
なお、龍之介は「木枯らし」には特別の思い入れがあったようで、木枯らしを詠んだ優れた俳句をいくつも残しています。  


河 童

 大正12(1923年)の関東大震災以降、龍之介は心身ともに次第に病んでいきます。その原因の一つに、大正末期に文学界が大衆化して全集の出版が盛んになるなかで、短編小説しか書けない龍之介は次第に行きづまりを感ずるようになったことがあるともいわれます。

昭和2年(1927年)には、風刺的小説『河童』を出版しますが、この年の夏には、龍之介の極度にデリケートな精神は限界に達してしまいました。7月24日、龍之介は次の俳句を残して、睡眠薬自殺をしました。

   水洟(みずはな)や
       鼻の先だけ
           暮れ残る  芥川龍之介
龍之介の小説の中で最も有名となった『河童』にちなみ、龍之介の命日7月24日を河童忌と呼びます。小説『河童』の舞台は、穂高連峰の入口、上高地の梓川にかかる河童橋です(上の写真は、東京中央区の水天宮にあった河童像です)。河童忌7月24日は夏休みに入ったばかりで、若者の大群が河童橋をわたって山に向かいます。

 最近、若年層に芥川龍之介のファンが多くなってきたという話を聞きました。インターネットのウェブを検索すると、芥川龍之介に関係したウェブがたくさん見つかりました。
太宰治も最近若者の間でますます人気が高くなってきたそうです。「インターネット自殺」に象徴される不安の時代が、文学の世界にも影を落としているように感じます。

   胸中の
       凩(こがらし)咳と
           なりにけり      芥川龍之介



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